里中 満智子(さとなか まちこ、女性、1948年1月24日 - )は、日本の漫画家、大阪芸術大学教授。公益社団法人日本漫画家協会理事長(2018年6月 - )。大阪府大阪市出身。描いた作品数は2019年時点で500を超える。 小学校入学に際して何か本を買ってあげるといわれて親と本屋に行った時に当時創…
18キロバイト (2,267 語) - 2024年2月8日 (木) 11:24
ペンネームっていう事ね。mj

1 朝一から閉店までφ ★ :2024/03/21(木) 20:35:57.34 ID:3/WKVtPL9
エンタメ
2024.03.21
里中満智子

1970年代よりマンガ界の最前線で活躍した一条ゆかり、もりたじゅん、池田理代子、秋本治、そしてちばてつやとの温かな交流。マンガ家・里中満智子が自身の半生を振り返った『漫画を描く 凜としたヒロインは美しい』より一部抜粋、再構成してお届けする。






少女マンガ家仲間のこと

『有閑倶楽部』や『砂の城』の一条ゆかりさんは、ずっと「りぼん」で作品を描かれていましたが、最初、私のアシスタントになりたいといって講談社にいらしたのです。

だけど作品を見たらとても上手で、アシスタントどころじゃない。「これはもう、即デビューだ、アシスタントのレベルじゃない」と思い、お断りしました。だけど彼女は未だに冗談で「アシスタントにしてくれなかった」と言うのです。

一条さんは、私よりひとつ年下なのですが、若いときからおしゃれで元気いっぱいでした。『クレオパトラ』を描いているとき、電話がかかってきたのですが、
私は締切間際でもう眠くてヘロヘロでした。「じゃあ手伝いに行くよ」とバイクを飛ばして来てくれたこともあります。彼女は月刊誌連載だったから、月のうち半分は集中して描いて、残りは気分転換できていたようです。

他社で描いている人たちとも知り合ったのが、25歳頃でした。池田理代子さん、木原敏江さん、もりたじゅんさんなどです。作品をよく知っている人だと、初めて会った気がしないし、ワクワクしたものですね。

池田さんと初めて会ったときは「うわあ!」と興奮して、「あれを描いたいきさつはどうだったの?」なんて質問し合って、そのまま延々と朝の4時くらいまでお喋りし続けました。
最初は喫茶店に行くのですが、そのうちお店が閉まってしまうので、うちに来て話し込んで。当時は本当に元気でしたね、朝まで喋って、そのまま仕事をしていましたから。

同じ出版社で描いていると何かとつながりが多く、同世代と仕事のことを話すのが良い刺激になります。青池保子さん、大和和紀さんが上京してきてからは、よくお喋りしていました。
会って話すだけでは飽きたらず、夜中の長電話もしょっちゅうでした。若かったあの頃は本当に体力があり、徹夜で疲れていてもお喋りしていると目が覚めたものです。

https://shueisha.online/articles/-/201776
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