懐アニメ


    まんが日本昔ばなし』(まんがにっぽんむかしばなし)は、愛企画センター、グループ・タック、毎日放送(MBS)の共同制作により放送されたテレビアニメである。 放送枠は30分で、毎回日本各地に伝わる昔話が映像化され、市原悦子と常田富士男の両名が、一人で何役もの声を使い分ける独特の語りによって紹介する。…
    218キロバイト (9,024 語) - 2024年3月13日 (水) 13:37
    つか、○人とか普通にあったりしたもんなmj

    1 湛然 ★ :2024/05/03(金) 07:04:53.44 ID:cYyqBpBt9
    「最終回激ヤバ」「理不尽な怖さ」 『まんが日本昔ばなし』の最恐トラウマ回
    4/28 マグミクス
    https://news.yahoo.co.jp/articles/94e89d04ecd1cf52ab2f5117e47aee0e2e3e155b


    最終回の最恐エピソードを手掛けたのは

     1975年から1994年まで放送され、長年子供たちを楽しませてきたアニメ番組『まんが日本昔ばなし』には、定期的に震えるほど恐ろしい「トラウマ回」もありました。話の内容だけでなく、演出やBGM、語りの市原悦子さんと常田富士男さんの演技も怖かった恐怖回を振り返ります。

    「十六人谷」1983年12月3日放送

     山の恐怖回として有名な「十六人谷」は、年老いた木こりの弥助が若い頃の体験を謎の女性に話す形で、物語が進行します。彼が山で「うわばみ(大蛇)」に殺されてしまった、仲間の太兵衛の通夜に行った夜のことでした。酔って家に帰ってきた弥助は、そこで謎の女に出会います。その女は、「明日、谷に行っても柳の木だけは切らないでくれ」と言ってきます。弥助はそれを断りますが、女は何度も念押しをして去っていきました。

     次の日、15人の仲間たちと一緒に山のなかの北又谷に入った弥助は、谷で見事な柳の木を見かけます。そこで昨晩の女を見た弥助は、恐ろしくなり、喜んで木を切ろうとする仲間たちを止めようとしました。しかし、彼らは弥助に取り合わず、そのまま柳を切ってしまうのです。

     その晩、みんなで山小屋で寝ていると、例の女が入ってきました。彼女は寝ている仲間たちに顔を近付け、順番に「口づけ」をします。そして、15人の木こりたちは舌を引き抜かれ、殺されてしまいました。弥助だけは持っていた山刀で女を攻撃し、その場からなんとか逃れました。

     そして、物語の終盤、年老いた弥助の話を聞いていた女があの柳の女だと判明します。弥助も舌を抜かれた状態で発見されますが、彼は不思議と恍惚とした表情で死んでいました。その後、あの柳があった谷は被害者の数にちなんで「十六人谷」と呼ばれるようになります。

     女が若者たちの舌を吸い取るときの恐ろしい音や、白い肌の口元に血が滴る姿はまさにトラウマ級の恐怖描写です。「最初のうわばみに襲われるところから全部怖い」「あまりの怖さに震え上がった。土曜の夜7時にこれだぜ」「今じゃ放送禁止だろうな」「理不尽さとトラウマ具合としてはずせない」などと、特に記憶にこびりついた人が多いエピソードとなりました。

    「亡者道」1984年8月4日放送

     飛騨地方の山々が連なる乗鞍岳の麓には、千町ヶ原(せんちょうがはら)という高原がありました。そこにはいくつかの小さい沼があり、それらは「精霊田(せいれいでん)」と呼ばれています。

     昔、千町ヶ原には平十郎という男が住んでおり、彼は秋の終わり頃に猟に行くのを楽しみにしていました。平十郎は愛犬のシロと死者が山へ登っていくと言われる「亡者道」に行き、かすみ網を張ってツグミを獲っていましたが、ある1羽のツグミに左目を攻撃されてしまいます。

     その夜、手当てをして山小屋で休んでいた平十郎は、一緒に暮らすじい様の「亡者の恐ろしい叫び声が聞こえるから、亡者道で猟をしてはいけない」という言葉を思い出しますが、夢でも見たんだろうと一笑に付しました。すると、ツグミが大量に小屋に入り込んできて飛び回ります。パニックになった平十郎が外に出ると、そこには無数の火の玉が飛び交い、謎の声のようなものが聞こえてきました。

     そして、平十郎は自分が仕掛けた網に無数の火の玉がからまり、うめき声をあげているのを目撃します。さらに火の玉はドクロへ変貌し、「平十郎とろう 平十郎とろう」と言い出しました。平十郎は慌てて山を駆け下り、途中で足を滑らせ、彼は精霊田のなかに落ちました。

     そこで平十郎はじい様も昔、亡者道で猟をして片眼を失っていたことを思い出します。すると、沼のなかから亡者の手が伸びてきました。万事休すかと思われましたが、沼から顔をのぞかせたドクロたちは「平十郎は3日前、仏様の飯を食っとる。とらえることできん」と言い、それ以上襲ってきません。

     助かった平十郎は、狂ったように笑いながら家に帰ります。しかし、彼は帰りを待っていたじい様もドクロの姿に見えるようになってしまっていました。気が触れてしまったのか、平十郎はその後、山での猟をばったりとやめたそうです。

     分かりやすい怪談回で、助かったかと思いきや最後は主人公がおかしくなってしまう展開も含め、トラウマエピソードとして有名です。

    (※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)

    【【懐アニメ】「まんが日本昔ばなし」おまいらの最恐回って、何や??【夜、トイレ行けんがな!!】【感想】】の続きを読む


    海のトリトン』(うみのトリトン)は、手塚治虫漫画。および同作を原作としたテレビアニメ。 『サンケイ新聞』(現・『産経新聞』)に1969年9月1日から1971年12月31日まで新聞漫画『青いトリトン』として連載、1972年4月から9月末まで放送されたテレビアニメタイトルは『海のトリトン
    63キロバイト (9,462 語) - 2022年8月28日 (日) 19:27
    富野喜幸氏が 関わってたなんて知らんかった。mj

    1 鳥獣戯画 ★ :2022/09/30(金) 08:12:28.96ID:CAP_USER
    マグミクス9.30
    https://magmix.jp/post/113862

    1972年9月30日に、TVアニメ『海のトリトン』最終回「大西洋陽はまた昇る」が放送されてから今日でちょうど50年に当たります。最後の最後で善と悪が逆転するラストは、今なお伝説として語り継がれるほどの強烈なインパクトをアニメの世界にもたらしました。

    ■オープニング曲は今も甲子園の応援テーマとしておなじみ
    1972年9月30日に、TVアニメ『海のトリトン』の最終回(第27話)「大西洋陽はまた昇る」が放送されました。それからちょうど50年になります。最後の最後で善と悪が逆転するラストは当時の視聴者に強烈なインパクトをもたらし、今なお伝説の最終回として語り継がれています。

    『海のトリトン』の名前を聞いて、まず真っ先に思い浮かぶのは、あの勇壮なオープニングテーマ「GO!GO!トリトン」ではないでしょうか。『人造人間キカイダー』のオープニング「ゴーゴーキカイダー」やCMソング「日立なんの木」を手掛けたヒデ 夕木(ヒデ夕樹)氏の歌声と共に海で舞うように戦うトリトンの雄姿は忘れがたいものがあります。なお、「GO!GO!トリトン」は6話までエンディングとして使用されており、7話から元々のオープニングである「海のトリトン」と入れ替わる形で使用されています。

    今でも甲子園の応援テーマとしてしばしば耳にする機会が多いことは、「GO!GO!トリトン」が歴史を超えた名曲であると証明していると言えるでしょう。演奏しているブラスバンドの方々のほとんどは実際に『海のトリトン』を見たことはないとは思いますが、何かの機会があればぜひ見てもらいたいものです。

    さて、『海のトリトン』は、手塚治虫氏が原作を手掛けていたことでも知られています。元々は「サンケイ新聞」(現:産経新聞)に『青いトリトン』として連載されていましたが、アニメ化の際に改題、後に出版された単行本も『海のトリトン』として出版されました。

    アニメ化が企画された際、手塚治虫氏はまず手塚プロダクションでのアニメ化を試みています。手塚氏のアニメプロダクションと言えば「虫プロダクション」が知られていますが、『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』『どろろ』など数多くのヒット作品を手掛けた虫プロもこの時期は辣腕(らつわん)を振るった常務の穴見薫氏の急死や労働争議の影響もあって苦しい状況に陥っていました。1968年には手塚氏は漫画制作・管理のために手塚プロダクションを設立し、1971年には虫プロの社長を退任するなど、混迷した状況となっていたのです。

    ■富野監督のとんでもない改変
    そのような状況下、当時手塚氏のマネージャーで後に『宇宙戦艦ヤマト』のプロデューサーとして一世を風靡(ふうび)した西崎義展氏がアニメ化の権利を取得し、TV局への売り込みに成功しました。当初は喜んだ手塚氏でしたが、西崎氏がアニメに関する諸権利を独占したことを知り、後に激怒したとも涙したとも言われています。

    監督を務めたのは富野喜幸(現・富野由悠季)氏。後に『機動戦士ガンダム』を手掛け、令和の時代となってもアニメ制作の最前線で活躍を続ける超一流のクリエイターにとっての初監督作品が『海のトリトン』でした。こうした人の動きを見ると、『海のトリトン』のアニメ化が『宇宙戦艦ヤマト』と『機動戦士ガンダム』というふたつの偉大な作品へと直接つながっており、当時のアニメがエネルギーのある人間を引き付ける世界であったことがうかがえます。

    なお、『トリトン』の最終回については富野氏が唯一脚本を手掛けており、当初の構想からは大幅な改変を行ったことを後に明かしています。結果、富野氏は虫プロを出禁になっており、かなりの波紋を投げかける行動だったようです。

    さて、当時の子供たちに大きなショックを与えた最終回とは、具体的にはどのようなストーリーだったのでしょうか。主人公のトリトンはかつて虐殺された一族の仇を取るため、育ての親であるイルカのルカ―たちと共にポセイドン族の根拠地へと攻め込みます。しかしそこでトリトンはポセイドン族がかつてトリトン族の祖先であるアトランティス人によりいけにえにされた人びとの生き残りであり、真の目的はトリトン族を倒し平和に暮らすことにあったと聞かされてしまうのです。

    真実を知ったトリトンに、巨大なポセイドン像が容赦なく襲い掛かります。苦戦を余儀なくされたトリトンでしたが、光り輝くオリハルコンの短剣に引きずられるようにしてポセイドン像を倒し、無事に海上へと逃れ出て仲間たちとの合流に成功しました。

    ルカ―の上で、日の出をじっと見つめたトリトンは、無言のまま仲間たちと共に太陽へと向かって旅立ちます。果たしてトリトンの行く手には何が待ち受けているのか、知るものは誰もいません。
    (早川清一朗)

    【【懐アニメ】「海のトリトン」富野喜幸氏にとって 嫌な思い出の作品?!【50年前の作品なんやな。】【感想】】の続きを読む


    ベルサイユのばら』は、池田理代子による漫画作品。通称「ベルばら」。フランス革命前から革命前期ベルサイユを舞台に、男装麗人オスカルとフランス王妃マリー・アントワネットら人生を描く、史実を基にしたフィクション作品。 この項目では、集英社マーガレットコミックス第1巻から第10巻までを「本編」、第
    254キロバイト (38,983 語) - 2022年9月8日 (木) 11:47

    (出典 www.cdjournal.com)


    43年前位にやってたっけな。mj

    1 愛の戦士 ★
    ORICONNEWS 2022-09-07 06:00

     漫画『ベルサイユのばら』(略称:ベルばら 原作:池田理代子)の誕生50周年を記念して、完全新作となる劇場アニメが制作されることが7日、発表された。あわせてティザービジュアルと特報映像、池田氏描き下ろしのお祝いイラストが公開された。

     『ベルサイユのばら』は、18世紀後半・フランス革命の時代を舞台に、将軍家の跡取りで、“息子”として育てられた男装の麗人オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェと、隣国オーストリアから嫁いできた純真無垢な王妃マリー・アントワネットらの愛と人生を描いた作品。時代に翻弄されながらも、それぞれの人生を懸命に生き抜いた愛と運命の物語。

    『ベルサイユのばら』完全新作の劇場アニメ制作決定 誕生50周年記念で特報映像が公開
    2022-09-07 06:00
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     漫画『ベルサイユのばら』(略称:ベルばら 原作:池田理代子)の誕生50周年を記念して、完全新作となる劇場アニメが制作されることが7日、発表された。あわせてティザービジュアルと特報映像、池田氏描き下ろしのお祝いイラストが公開された。

     『ベルサイユのばら』は、18世紀後半・フランス革命の時代を舞台に、将軍家の跡取りで、“息子”として育てられた男装の麗人オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェと、隣国オーストリアから嫁いできた純真無垢な王妃マリー・アントワネットらの愛と人生を描いた作品。時代に翻弄されながらも、それぞれの人生を懸命に生き抜いた愛と運命の物語。

    1972年から1973年まで『週刊マーガレット』(集英社)にて連載され、マーガレット・コミックスは全10巻を刊行、2014年からは40年ぶりとなる新エピソードの単行本4巻も発売されており、累計発行部数は2000万部を突破している。

     メディアミックスの先駆けと言われており、1974年には宝塚歌劇団により舞台化され、その後、1979年にテレビアニメ化、1990年に映画化と、さまざまな方面で社会現象を巻き起こした。

     解禁となったティザービジュアルには「激しく、美しく、生きた―」というキャッチコピーとともに、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェと、マリー・アントワネットが美しく描かれている。特報では、クラシック音楽にあわせて原作漫画とティザービジュアルが映し出されている。

     また、池田氏から寄せられた描き下ろしのお祝いイラストには、「いつまでも忘れないでね」のコメントとともにオスカルとマリー・アントワネットが描かれている。

     今回の劇場アニメ化について池田氏は「多くのファンの方たちから、新しいアニメをというご希望をよくいただくので、まさかそれが実現するなんて、驚きとうれしさでいっぱいです」とし、自身にとって『ベルサイユのばら』の存在は「作品は、読む読者が感じ取るもので、私にとってどうと聞かれると難しいのですが、世代を超えて読み継がれるということは、本当にうれしいです」とコメントを寄せた。

    https://www.oricon.co.jp/news/2248414/photo/1/
    劇場アニメ『ベルサイユのばら』のティザービジュアル (C)池田理代子プロダクション/ベルサイユのばら製作委員会

    【【漫画】【懐アニメ】「ベルサイユのばら」とりあえず 新作は 声優陣は変えないで欲しいよな!!【子供には難しいだろ】】の続きを読む


    地獄先生ぬ〜』(じごくせんせいー)は、原作:真倉翔・作画:岡野剛による漫画作品、およびそれを原作とした各種作品群である。略称は「〜」。集英社『週刊少年ジャンプ』にて1993年38号から1999年24号まで連載された。2019年1月時点でシリーズ累計発行部数は2500万部を突破している。
    92キロバイト (10,408 語) - 2022年2月19日 (土) 10:21



    (出典 dengekionline.com)


    この間 オリンピックの裏で OP流れてたよね??mj

    713 風吹けば名無し

    バリバリ最強ナンバーワンが今でもプロ野球で使われてるの草


    【【懐アニメ】「地獄先生ぬ~べ~」実は 女子にも人気だったよな!!【バリバリ最強No.1】【感想】】の続きを読む


    UFOロボ グレンダイザー』(ユーフォーロボ グレンダイザー)は、永井豪作・原作の漫画、および1975年(昭和50年)10月5日から1977年(昭和52年)2月27日までフジテレビ系列で毎週日曜日19:00 - 19:30に全74話が放送された、東映動画製作のロボットアニメ。
    101キロバイト (15,222 語) - 2021年10月14日 (木) 23:53



    (出典 dpc8tamkiuhgi.cloudfront.net)


    日本が誇るアニメ!!mj

    1 鳥獣戯画 ★ :2021/11/17(水) 22:55:22.82

    FNN2021年11月17日 水曜 午後7:30
    https://www.fnn.jp/articles/-/271252

    2021年10月、1970年代にフジテレビで放送されていたアニメ「UFOロボ グレンダイザー」の46周年記念イベントがパリで開催された。

    新型コロナウイルスの影響で1年延期となったイベントにはおよそ3000人のファンが集まった。

    「グレンダイザー」は日本のロボットアニメ、マジンガーシリーズの第3作にあたる。日本では第1作のマジンガーZの方が良く知られていることだろう。

    ではなぜ第3作の「グレンダイザー」は記念イベントが開催されるほどフランスで人気があるのか?

    その謎の答えを求めて「グレンダイザー」イベントに参加してみた!
    そのイベントは平日の夜、パリで最も伝統的で、ヨーロッパ最大級の映画館「Grand REX」で開催された。当時のフランス人声優も参加して、フランスでは「ゴルドラック」の名で親しまれる「グレンダイザー」の上映会や、アニメの主題歌などの生演奏などが行われ、大いに盛り上がった。

    中にはコスプレ姿で参加した11歳の子供も!約半世紀前の作品に抱く憧れは、グレンダイザーをこよなく愛した両親から受け継がれたものだった。

    「お父さんとお母さんと一緒にアニメを見ていました。そのおかげでグレンダイザーを知りました。」

    会場の座席は埋め尽くされ、この昭和のアニメが未だ根強い人気を保っていることを感じさせる盛況ぶりだった。

    この他にも、パリ中心部にある日本文化会館ではグレンダイザーの展示会が開かれていた。グレンダイザーのフィギュアや放送当時のグッズなども展示され、約1カ月半の開催期間で2万5千人もの熱烈なファンが会場が訪れた。

    イベントに合わせてフランスの郵便局は「グレンダイザー」の記念切手も発売した。

    更に2021年10月にフランス版のマンガ「UFOロボ グレンダイザー」(ゴルドラック)が発売された。

    もともとフランスではマンガは「バンドデシネ」と呼ばれ、日本のマンガとは形式が異なる。バンドデシネはA4よりやや大きめのサイズでハードカバーが主流となっている。日本同様ストーリーはコマ割りだが、すべてカラーで描かれている。

    既に人気の「グレンダイザー」をなぜ今あえて、フランスのバンドデシネの形でリメイクしたのか?マンガを出版した「KANA」に今回のプロジェクトの経緯と狙いを聞いた。

    ーー「グレンダイザー」を出版する経緯は?

    二コラ氏:
    「バンドデシネ界では有名な作家グザビエ・ドリゾン氏が子供の頃グレンダイザーファンだったのが理由です。(ドリゾン氏は)自分のグレンダイザーを描きたいがためにプロジェクトを持ちかけてきました。」

    通常、バンドデシネは1人ないしは2人のチームで作成されるのが一般的だが、今回のプロジェクトは最終的にフランス人5人のチームを結成した。その狙いは「より完成度を高めるため」「描きたいグレンダイザーに近づくため」だという。

    バンドデシネのフォーマットで制作した理由については「作家と画家が一番好んで、慣れているから」と話す出版社の担当者。3年の歳月をかけて完成した作品を「芸術品」と絶賛した。

    「芸術品」と言われるほどクオリティの高い作品を出版することができたこと、記念イベントまで開催できた背景には何があったのか?

    「グレンダイザー」がフランスの日本アニメと漫画ブームの原点

    フランス生まれ、フランス育ちの私。80年代の幼少期、マンガに触れることはあったが、周りのフランス人の子供のほとんどは日本のマンガの存在すら知らなかった。一方、日本のアニメは良く知られていた。理由は70年代後半に放送された「グレンダイザー」がアニメのブームを起こしていたからだ。

    アニメ「グレンダイザー」はフランスで放送が始まってすぐに大人気となり、子供ならだれでも知っているヒーローアニメだった。有名週刊誌の表紙を飾るほどのフィーバーが起こり、当時の記事には「クリスマスの1カ月前にはグレンダイザーのグッズが売り切れた」と記されている。

    それまで日本のアニメをほとんど放送することがなかったフランスのテレビ各局も、グレンダイザーフィーバーを受けて80年代には日本のアニメを放送するようになった。

    日本のアニメに夢中になっていた世代は今「クラブドロテ世代」と呼ばれている。「クラブドロテ」は当時の子供番組の名前で、日本のアニメを主に放送し子供の間では絶対的な存在だった。日本でも人気だった「ドラゴンボール」や「聖闘士星矢」などを放送し、大ヒットさせたのも「クラブドロテ」だった。
    (以下リンク先で)


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