今って


    プロジェクト アニメ ウィクショナリーに関連の辞書項目があります。 アニメ アニメ アニメーション - アニメーション(Animation)の略語。アニメーションを用いて構成された映像作品全般を指す。アニメーションとは動かない絵や物体をコマ撮りと映写によって動いているように見せる表現技法。日本でのアニメ
    958バイト (183 語) - 2023年10月4日 (水) 04:48
    昔よりは、世界的規模になったと思うけどな。mj

    1 ひかり ★
     現在の日本のアニメは世界からも絶えず注目され、原作サイドやTV局、音楽方面などでも、重要なポジションにいます。しかし、かつてアニメは子供向けのものとされ、軽視されていました。アニメはどのように、現在のような地位を獲得したのでしょうか?

     今でこそ世界中で人気を獲得し、日本国内でも子供からお年を召された方まで楽しまれているアニメですが、昔はもっと軽い扱いをされていたことをご存じの方も多いでしょう。1996年にアニメ化された『るろうに剣心』のオープニング「そばかす」は、あまりにも作風にそぐわないとして当時物議を醸しました。

     しかし楽曲を担当したJUDY AND MARY側には、急にタイアップが決まったので2日で「アニメソング」を書けと、プロデューサーから指示があったそうです。作品が何かも教えてもらえず、やむを得ず『キャンディ・キャンディ』をイメージして作り上げられたのが「そばかす」なのですが、このような曲作りを行なったのには裏がありました。

     実のところ、担当プロデューサーはそもそも『るろうに剣心』を単なる楽曲の宣伝媒体程度にしか考えておらず、意図して「アニメと関係ない曲に仕上げた」ことを後に明かしています。現在のように、作品の骨子に寄り添い作詞作曲が行われる時代からは、考えられないことです。

     このように軽い扱いを受けていたアニメが、なぜ今は重要な扱いを受けているのか。単純な理由としては、市場規模が拡大したためです。2002年には約1.1兆円だった市場規模は、2022年には約3兆円と3倍近くに成長しています。

     特に正規配信が開始されてからの海外市場では、ライブパフォーマンスや劇場アニメーションが高い利益を叩き出しています。なかでも劇場版は、かつて夢物語に近かった興行収入100億円を突破する作品が次々と現れる状況です。名作と名高い『天空の城ラピュタ』が11.6億円であることを考えると、隔世の感があるといえるでしょう。

     資源に乏しい日本にとっては、人の才能と労力で生み出せるアニメは貴重な成長産業のはずです。主に人材育成に対する支援など、政府にはより一層の協力を期待したいところです。

     しかしながら、1963年に日本初の本格的なTVアニメ『鉄腕アトム』が登場して以降、アニメの世界を支えてきたのは数多くのクリエイターが死力を尽くして生み出してきた作品群と、アニメを楽しんでいた一人ひとりのファンたちです。市場規模拡大という言葉は、結果論に過ぎません。

     特に1970年代に入ると、『海のトリトン』の女性ファンたちがアニメブームの先鞭をつけ、その後に続いた『宇宙戦艦ヤマト』と『機動戦士ガンダム』が強烈なアニメブームを巻き起こし、その影響は現在も続々と新作が作られる形で継続中です。

     1980年代前半にはTVアニメ『キャッツ・アイ』のオープニングテーマ「CAT’S EYE」や、劇場版『超時空要塞マクロス』の作中歌「愛、覚えていますか」が、ランキング形式の歌番組に登場するなど、それまで童謡扱いされ軽視されていたアニメソングも、徐々に受け入れられていきました。

     その後、ファミコンの台頭や、社会情勢もあり苦しい状況に置かれたこともあった日本のアニメですが、庵野秀明監督が手掛けた『新世紀エヴァンゲリオン』のヒットにより製作委員会方式が普及します。

     深夜帯のアニメも定着し、収入源もかつてのおもちゃやプラモデル、小道具を売る形からさまざまなグッズの版権収入およびDVDの販売などに変化して、今まではアニメに関係がなかった多くの業者も参入するようになりました。

     さらに、2001年に宮崎駿監督が手掛けた『千と千尋の神隠し』は、興行収入が316.8億円(リバイバル上映分含む)と、劇場アニメの価値を大いに押し上げます。『サマーウォーズ』の細田守監督や『君の名は』の新海誠監督など、才能あるクリエイターが劇場で次々と実績を上げるなか、ついに2020年になり劇場版『鬼滅の刃 無限列車編』が興収400億円を突破し、歴史を塗り替えたのです。

     一人ひとりが作り、一人ひとりが劇場へ足を運び、一人ひとりが配信を眺める。

     外部の企業は宣伝し、イベントを開催し、グッズを企画する。

     ファンは好きなキャラクターを推し、グッズを購入し、SNSで愛を叫ぶ。

     そのひとつひとつの動きの結晶体が今のアニメの人気であり、誰かひとりの成果ではありません。世界レベルでアニメを盛り上げている一員であることを、クリエイターも、関係者も、ファンも誇りにしてもいいのではないのでしょうか。
    https://news.yahoo.co.jp/articles/d80a849db52608310a182e8fc3b872be3168ca0d
    https://news.yahoo.co.jp/articles/d80a849db52608310a182e8fc3b872be3168ca0d?page=2

    【【アニメ】アニメ業界の、昔と今って、どうなの??【冷遇されてた??】】の続きを読む


    漫画」という言葉を北澤楽天や今泉一瓢が使用したことに始まって以後、漫画はcomicと同義として扱われる様になり、その意味での「漫画」が昭和初期に普及し、現代における漫画という語へ定着するようになった。本項では、日本の漫画のみではなく、漫画全般について説明する。 漫画
    41キロバイト (5,996 語) - 2022年4月3日 (日) 10:47

    (出典 4.bp.blogspot.com)


    ダラダラするのも どうかなぁ…mj

    1 征夷大将軍 ★

    マグミクス5.11
    https://magmix.jp/post/90247/2

    ■昭和時代の人気マンガの平均的な巻数は?
    昭和生まれの筆者の、子供の頃の感覚では、「10巻以上は人気マンガ」というイメージが漠然とありました。そこで今でも作品タイトルを聞くことの多い、アニメにもなっている1960~1970年代の主な作品の巻数を挙げると……。

    ・『巨人の星』全19巻
    ・『あしたのジョー』全20巻
    ・『タイガーマスク』全14巻
    ・『野球狂の詩』全17巻

    ……というように、現在のように何十巻もある人気マンガに比べて半分以下の巻数になっています。当時、社会現象にまでなったほどの作品でこのくらいで、当時のマンガは基本的に数年で完結するものがほとんどでした。

    もちろん、当時でも作者のライフワークとも言うべき、長きにわたって描き続けられた作品は多く存在しています。『サイボーグ009』、『天才バカボン』、『ゲゲゲの鬼太郎』のような人気作品です。しかし、これらは一度物語を完結させるという形を取っており、連続的なストーリー性を持った作品ではありません。そういった連続ストーリー物は、前述したように一定の連載期間で物語を完結させています。

    近年、100巻を超えた発行巻数の多い作品を見ると、このパターンに当てはまるものが多くありました。『ゴルゴ13』、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』、『浮浪雲』、『あぶさん』、『クッキングパパ』などです。どの作品も共通しているのは1話ないし数話でひとつのエピソードが終わるタイプ。どこから読んでも基本設定さえ知っていれば問題ない読み切り方式の作品です。

    そういう点では、昔からギャグマンガは比較的、巻数が多い印象がありました。もっともギャグマンガの場合、同じパターンだと定期的なネタ出しに困るので、登場人物や作風を変えたいくつかの作品を回していくという方法を聞いたことがあります。

    それでは、近年の『ONE PIECE』、『名探偵コナン』のような長期連載形式の連続ストーリー物の100巻超え作品は、どのような流れで生まれてきたのでしょうか?

    メディアミックスで寿命が延びた人気マンガ
    あくまでも筆者の私見ですが、いわゆる「ジャンプ黄金期」と言われる時代が、マンガの長期連載の要因になったと思います。

    この前後のアニメにもなった、主だった「ジャンプ」の人気マンガ作品を年代順に並べてみると……。

    ・『Dr.スランプ』(1981?1986年)全18巻
    ・『キン肉マン』(1983?1986年)全36巻(当時に発売されたもの)
    ・『キャプテン翼』(1983?1986年)全37巻
    ・『キャッツ・アイ』(1983?1984年)全18巻
    ・『北斗の拳』(1984?1988年)全27巻
    ・『ハイスクール!奇面組』(1985年-1987年)全20巻(『3年奇面組』全6巻含まず)
    ・『ドラゴンボール』(1986?1997年)全42巻
    ・『聖闘士星矢』(1986?1989年)全28巻
    ・『シティーハンター』(1987?1991年)全35巻
    ・『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』(1991?1992年)全37巻
    ・『幽☆遊☆白書』(1992?1995年)全19巻
    ・『SLAM DUNK』(1993年-1996年)全31巻

    ……といったように、アニメの放送話数に比例して徐々に発行巻数が伸びてきている感じに見えます。そう考えると、連載の長期化はアニメ化によるコンテンツの拡大などが要因かもしれません。

    この時期の「ジャンプ」マンガでよく漏れ聞こえるのが、「作者がやめたくても編集部が連載を続けさせる」という話です。上述したようにマンガのヒットでアニメ化され、アニメでもヒットすることで生まれた二次収益などで、作者であっても容易に連載を終わらせることができなかった。……そういったエピソードがあったのも、この時期くらいからでした。

    それがすべてというわけではないでしょうが、コンテンツとして複合的にさまざまな分野とからみ合うようになったことで、連載マンガの「寿命」は大きく伸びたのかもしれません。もっとも、連載期間が延びたことでデメリットもいくつか起こりました。

    そのひとつがコミックスの巻数の多さによる消費者の買い控えです。よく言われるのが長期連載作品のファンになった場合、以前に販売されていた巻数まで網羅できるのか? という不安をおぼえる。……という話を耳にします。この点は「○○編」といった形で区切るという方法がよく使われ、なかには「○○編」ごとにコミックスの巻数をリセットする方法が使われることもありました。

    また、作者が長期連載することで起きるデメリットで、筆者がもっとも懸念するのが作品数の数です。昔の有名漫画家の方々は多くの名作を生み出してきました。しかし、近年の漫画家の方々は数作、人によってはひとつの作品しか生み出していません。(全文はリンク先で)


    【【漫画】長く描き続けてなんぼ?!【今って 長期連載って多くね??】】の続きを読む


    ボードゲームのグループは、上で述べられているトリヴィアゲーム、ユーロスタイルボードゲームのほかにレースゲーム、ロール・アンド・ムーブ・ボードゲーム、アブストラクトゲーム、言葉遊び、ウォー・シミュレーションゲームを含む。いくつかのボードゲーム
    53キロバイト (7,225 語) - 2021年10月9日 (土) 00:46



    (出典 assets.media-platform.com)


    昔は夜なべしてやってたな。mj

    1 鳥獣戯画 ★

    キャリコネニュース9月6日(月)12時0分
    https://news.careerconnection.jp/entame/124275/

    最近、20代の男の子と話をする機会があった。僕が「ゲームとかするの?」と聞くと「やってますよ、ソシャゲをいくつか」との返事。課金もあんまりせずに楽しめるものも多いそうで、しょっちゅう遊んでいるとも。

    その話の延長線上で、据え置き型のゲームはするかどうかも質問したところ、面白い答えが返ってきた。「僕、操作下手なんて上手い人のやるプレイ動画をYouTubeで観てます」と言うのだ。

    これ、なるほどなぁ~と思った。僕も子供の頃、格ゲーがからっきしダメだったから友達数人で集まってトーナメントをしても、すぐに脱落していた。

    だけど負けた後に、みんなが操作するキャラを眺めるだけでも、結構面白かったもんなぁ。

    今はその経験をネット越しにも出来ると、そういうことなんだろう。いいんだよね、シンプルに。上手い奴のプレイってやっぱ見てても面白いし。

    普通にゲームを起動させるのもしんどいって若者がいても不思議ではない


    先日、2ちゃんねるに面白いスレッドが立っていることを編集部から教えてもらった。「【悲報】最近の若者、『起動するのが面倒くさい』と言うだけの理由でゲームをプレイしなくなってしまう」というものだ。

    スレ主は本文において「若者の感性どうにかしてるよ…」とも書き込んでいる。どれだけの数の若者に話を聞いたのかは未知数なので「思い込みなんじゃない?」という気もしないでもないけど、そういう若者にきっと彼は出会ったのだろう。

    前からこちらのコラムでも書いてきたが、おじさんになってしまって以降、僕はゲームを起動させるのが億劫に感じる頻度が日ごとに増している。やっぱりこう、なんか面倒なのだ。かつてゲームキッズだった僕ですら、加齢によってゲームはしんどくなってきている。

    たしかに、若者のゲーム離れというか、据え置きゲーム機離れは以前から一部で指摘されていた。もし、まだ10代から20代前半ぐらいまでで「据え置き機の電源押すのだりいっすわ」って子が多くいるのだとしたら、ちょっと心配になる。趣味にも娯楽にも無気力な若者って、なんか気になっちゃうじゃない。

    頭空っぽにしてゲームに熱中できる環境が今の日本にあるか?
    スレッドには、ゲームに対しての気力のない若者を観測したことがあるとおぼしき、中高年の書き込みがチラホラ見受けられる。

    「2ちゃん、マジでおっさんしかいない掲示板になっちゃったなぁ」としみじみ痛感する書き込みをいくつかご紹介したい。

    「ゲーム関係なくエネルギー無い人増えてるやろ。真の意味での格差や」
    「ストレスがいっぱいでゲームのストレスを加えたくないんや」
    「PC付けっぱなし民とCS民ではゲームやるのに必要なエネルギー全然違うやろな。ゲーム機を起動してよっしゃやるぞってのはかなり気合がいる」
    「もうモニターの前に座ってゲームだけやる時代やないんやろな」
    と、こんな具合。

    「据え置き機で遊ぶ=めんどくさい」は僕の場合30代に入ってすぐに生じた変化だったが、人によってはそりゃあもっと早くにそう感じることもあるんだろうね。ところで僕は現在37歳になる。その中年白髪男の僕がもしも今の時代に20代前半とかの若者だったら。果たしてそこまでパワフルでエネルギッシュでいられただろうか、と思うことがある。

    僕が子どもだった1990年代って今ほど、社会の空気ってどんよりしてなかったというか、ガジェットは拙いものばかりだったけど、なんか生きてて楽しかった。極端な話、貧乏人も多かったが笑ってやり過ごせたというか。少なくとも、片親で育った僕なんかはそうだった。不幸、不遇は逆に面白いみたいなね。

    一方で景気も回復せず、ここ1年以上ずっとコロナのせいで自粛、自粛の日々を送っている人は多い。社会で懸命にもがく若者にしてみれば、それでも働かないと生きてはいけないので頑張って労働をしているって話だろう。

    だが、元々給与も低いのにコロナ禍で職場がそもそも大ピンチって事例もあれば、そりゃあ若いだけに感受性も強いんだから本気で嫌になるだろう。

    結果的に娯楽にすら気持ちが向かない無気力状態に陥ってもあんまり不思議ではないのかなぁ。無気力状態と言うか、そこに心を割くほどの余裕がないと言うか。むしろそうならないほうがおかしいと言うか。

    漠然と将来に不安を抱いてる状態では、何食っても不味いし、必死で遊んでもどっかで正気になっちゃうもの。若い人がゲームの電源ボタンを押すのもしんどいと感じてしまう世の中って、本当に健全ではないよね。


    【【ゲーム】今ってゲーム好きって 少なくなって来てね??【情熱がない??】】の続きを読む

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