|
今も連載が更新されるたびにSNSで話題になる『キン肉マン』にはファンがデザインした個性豊かな超人たちが次々と登場します。なかには“元ネタ”のある超人も。新しいファンは知らないかもしれない、超人のモデルたちをご紹介します。
チアガールや親衛隊もついたアイドルレスラー
新作アニメの制作が発表されるなど、今も新たなファンを獲得し続けている『キン肉マン』。1979年に連載が始まって以来、昭和、平成、令和と三つの時代にわたって愛され続けているバトルマンガの傑作です。
ところで、『キン肉マン』には元ネタがある登場人物が何人もいます。もともとギャグマンガとしてスタートしているので、パロディー的な要素もあったのでしょう。しかし、連載開始から40年以上経っていることもあり、新しいファンにモデルとなった人物のことが知られていない場合が出てきているようです。40代、50代以上の昭和世代の読者には常識でも、10代、20代の令和世代には馴染みのないキャラクターの元ネタをいくつか紹介しましょう。
●テリーマン
アメリカ出身の正義超人であり、キン肉マンの名パートナーでもあるテリーマン。モデルはプロレスラーのテリー・ファンクです。
70年代初頭から来日していたテリー・ファンクは、ジャイアント馬場率いる全日本プロレスで人気が爆発しました。チアガールや親衛隊がつくほどで、兄のドリー・ファンク・ジュニアとともに実況アナからは「世界のアイドル」と呼ばれていました。キン肉マンやテリーマンが「アイドル超人」と呼ばれているのも、このあたりがルーツでしょう。
テリーマンの出身地がテキサスなのも、異名が“テキサスの荒馬”や“テキサス・ブロンコ”なのも、得意技がスピニング・トーホールドとテキサスクローバーホールドと左の拳によるナックル・パートなのも、テリー・ファンクと同じ。マックス・ラジアルとの対戦時、ロープを支えに立ち上がろうとしている姿もテリー・ファンクそっくりに描かれていました。
83年にテリー・ファンクが惜しまれながら引退したときは、テリー・ファンクをテリーマンが肩車して「おつかれさま! あなたの分までがんばるぜ!!」という扉絵が描かれました。テリー・ファンクの引退理由はヒザの故障の悪化でしたが、テリーマンも左足を負傷して切断に追い込まれています。テリー・ファンクは引退の翌年に復活、ハードコアスタイルに転身して長く活躍しました。
●ウルフマン
キン肉マンと同じく日本代表の超人で、後にアイドル超人の仲間としてともに戦ったウルフマン(アニメではリキシマン)。モデルは昭和から平成にかけて活躍した名横綱・千代の富士です。“ウルフ”は精悍な顔つきからつけられたニックネームでした。
登場したときのウルフマンは「ハガネの体」をアピールしていました。同じように千代の富士も、肩の脱臼癖をカバーするために鍛え上げた肉体美は「鋼の肉体」を持つと称されていました。
またウルフマンはキン肉マンとの対戦時、千代の富士と同じ「V」の字がデザインされた化粧まわしをつけています。64巻の書店用POPにもこのときの化粧まわしが描かれていました。
ゆでたまご先生は千代の富士を超人のモデルにした理由を「当時千代の富士関が全国の子供たちにとって最強のヒーローだったから」と明かし、アニメ化のときに名前をリキシマンに変えたことについては親交のあった千代の富士(このときは九重親方)から直接「なぜ名前を変えてしまったのか。ウルフマンのままでよかったのに」と伝えられて感動したと語っています(「週プレNEWS」2016年8月1日)。角界では初の国民栄誉賞の栄誉にも輝いた千代の富士ですが、惜しくも61歳の若さで逝去されました。
※続きはリンク先で
https://magmix.jp/post/157238
(出典 i.imgur.com)