ファイアーエムブレム 新・暗黒竜と光の剣#その他の話題 - 日本国外版の追加要素 「ファイヤーエムブレム」・「ファイアーエンブレム」・「ファイヤーエンブレム」と表記するのは誤りだが、商標は取得している。 ※略称の意味:FC=ファミリーコンピュータ、SFC=スーパーファミコン、GBA=ゲームボーイア 95キロバイト (14,034 語) - 2022年6月6日 (月) 07:33 |
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「個性化」と「喪失」で、ユニットにキャラクター性を持たせた「ファイアーエムブレム」の今に迫る。
1990年4月に発売されたファミリーコンピュータソフト『ファイアーエムブレム 暗黒竜と光の剣』は、それまで「無個性な駒」としての扱いだった「ユニット」に特徴を持たせ、さらにキャラクター性も付加。替えの利かない唯一無二の仲間を率いて戦う「シミュレーションRPG」というジャンルを切り開きました。
しかも本作は、個性の付加によってユニットの価値を高めると共に、戦場で倒れたら(=HPがゼロになったら)死亡扱いでロスト(=失われる)するという過酷なルールも同時に敷き、「個性」と「命」の両面でユニットの存在を確立させました。
豊かな個性によってユニットに愛着が湧き、プレイヤーの判断ミスで気に入ったキャラがいなくなる喪失感を味わう。この見事な表裏一体がかつてないゲーム体験を生み出し、今も愛され続ける人気シリーズの礎を築いたのです。
ユニットに「生」の息吹を与え、同時に「死」の残酷さも取り入れた「ファイアーエムブレム」の魅力は、後のシリーズ作にも引き継がれていきました。ですが、ここしばらくのシリーズ作について、古参のファンから「ぬるくなったのでは?」との疑問が投げかけられています。
なぜそんな疑問が持ち上がったのか。そして、この指摘は事実なのか。生と死を描いてきた「ファイアーエムブレム」シリーズの今へ迫り、その実態へと迫ってみました。なお今回は、ゲームの難易度ではなく、あくまで「生と死」の重みや扱われ方のみに絞らせていただきます。
●疑問のきっかけは、新規ユーザーに向けた「カジュアルモード」
本シリーズについて「ぬるくなった」と指摘するポイントは、人によってさまざま。しかし、そのなかでも特に挙げられやすいのは、「カジュアルモード」の存在です。
「カジュアルモード」に設定すると、戦闘中にやられても死亡扱いにならず、次の戦いからまた参戦できるようになります。2010年7月発売の『ファイアーエムブレム 新・紋章の謎 ~光と影の英雄~』で初めて導入され、以降のシリーズ作に継承。最新作の『ファイアーエムブレム 風花雪月』にも採用されたゲームシステムです。
HPが0になっても死亡しない。それは、「ファイアーエムブレム」が打ち出した「死の重み」を、自ら軽んじるものではないか……そのように考えた方が少なくありませんし、確かにこの点だけ見ると、「死」の印象が少し変わったようにも感じます。
ですが、「倒れる=死亡扱い」という従来の緊張感が味わえる「クラシックモード」も用意されており、どちらかにするかはプレイヤーが任意で選択可能。一概に「ぬるくなった」わけではありませんが、死を回避できる選択があること自体を「甘さ」と見ることもできます。
「カジュアルモード」を搭載したことで、新規のユーザーを呼び込む間口の広さにつながった一面は否定できません。そのメリットと引き換えに、「ファイアーエムブレム」は本当に「ぬるく」なってしまったのでしょうか。
●1作目にもあった「死を回避する手段」
「カジュアルモード」が搭載された『新・紋章の謎 ~光と影の英雄~』以降の作品群を指し、死の重みが薄れたと指摘する声があります。ですが、こうした時代よりも前から、「死」を回避できる対応はありました。
そもそも1作目の『暗黒竜と光の剣』の時点で、実は死亡したキャラを生き返らせる救済措置が用意されています。復活の杖「オーム」を使えば、死亡した仲間を蘇生することが可能でした。
しかし、この「オーム」が手に入るのは終盤ですし、使える場所も最終面のひとつ前と限られています。また、対象のキャラが十分に育っていなければ、次の最終面で出番が回ってこない可能性はかなり低くなります。死を回避する手段そのものはあっても、「これがあるから死んでも大丈夫」とはいきません。そうした点を考慮すると、蘇生手段があっても「死」の重みは変わらず、と捉えることもできます。
一方で、物語の展開上で欠かせない一部のキャラが死んだ場合、「ゲームオーバー(=対象キャラの死を、やり直すことで強制的に回避)」もしくは「戦闘からは離脱するが、死亡はせず物語にだけ参加」という形になる場合もあります。
ゲームオーバーや戦闘に参加できない状態は明確なデメリットなので、これも「死」の重みと言えるかもしれません。が、「死を回避する(もしくはさせられる)」システム自体は、限定的ながらも昔から存在していたのです。
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