漫画家


    惨劇館-ブラインド-(原作・脚本・監督:御茶漬海苔) 古賀新一、伊藤潤二との共同プロジェクト「古潤茶」の1作品 姫 一人の少女の物語(監督:藤井道人) 作者本人も俳優として出演している。 あぁ御茶漬の唄 (2010年8月4日発売、唄:まついえつこ) - 映画『御茶漬海苔
    16キロバイト (2,390 語) - 2023年11月6日 (月) 06:57
    無理が祟ったんじゃね?!mj

    1 朝一から閉店までφ ★ :2023/11/06(月) 13:14:51.40 ID:dD0L38BL9
    2023.11.06
     元ホラー漫画家の御茶漬海苔(おちゃづけのり)さん(63)が3日に放送されたフジテレビ系「イット!」で、右目を失明し、漫画家を引退したことを明らかにした。
     御茶漬海苔さんは「惨劇館」などのホラー漫画で知られ、浜田ブリトニーも師匠と仰ぐ、ホラー漫画界では知る人ぞ知る人気漫画家。
    「一番売れていた時で(年収)3000万円」もあったというが、3年前に糖尿病が原因で
    「右目が見えなくなっちゃって」と漫画家にとって大事な目に異変をきたし、漫画家は引退状態であることを告白した。
     現在は「年金だけ」という収入で「1カ月4万円ぐらい」と収入激減。
    「通帳を見たときに、こんなに減っているのかと。節約していくしかないと…」と打ち明け「目が見えなくなるとは思わなかったので」とも吐露だ。
     取材日の食事は100均のカップラーメンのみ。今後は「(漫画の)原作を考える仕事をしていきたい」との願いも明かしていた。
    https://www.daily.co.jp/gossip/2023/11/06/0016998989.shtml

    【【漫画家】ホラー漫画の「惨劇館」等の 御茶漬海苔氏。片目失明って その食生活じゃもっとやばくね??【糖尿病は怖いわ…】】の続きを読む


    昭二(いずみ しょうじ、1932年4月25日 - 2023年10月29日)は、日本の漫画家。男性。東京府東京市荒川区(現:東京都荒川区)生まれ。法政大学卒業、東京デザインカレッジ漫画科修了。 中学生のとき、大人の雑誌に投稿した作品が掲載され、出版社に原稿料を受け取りに行って驚かれた。この頃に漫画…
    4キロバイト (519 語) - 2023年11月5日 (日) 05:23
    ギネス新記録なんだってな…mj

    【【漫画家】【訃報】「ジャンケンポン」の作者 泉昭二氏。死去…50年以上現役って凄いよな!!【合掌…】】の続きを読む


    やなせ たかし(本名:柳瀬 嵩〈読みは同じ〉、1919年〈大正8年〉2月6日 - 2013年〈平成25年〉10月13日)は、日本の漫画家・絵本作家・詩人。有限会社やなせスタジオ社長。高知県出身(詳細は後述)。作曲家としてのペンネームは「ミッシェル・カマ」。 『アンパンマン』の生みの親として知られる。…
    60キロバイト (7,987 語) - 2023年10月20日 (金) 04:01
    どんなドラマになるのやら。mj

    1 Ailuropoda melanoleuca ★ :2023/10/20(金) 15:25:16.59 ID:e/D6X96t9
    2023年10月20日 11時55分

     NHKは20日、2025年度前期に放送する朝の連続テレビ小説「あんぱん」を制作することを発表した。第112作目となる。「アンパンマン」を生み出した漫画家・やなせたかしさん(1919―2013)と妻の小松暢(のぶ)さん(1918―1993)がモデルで、脚本は中園ミホ氏が担当する。

     NHKが紹介したストーリーは以下のとおり。

     あらゆる職業を転々としながら定まらない人生を送っていた、遅咲きの漫画家・やなせたかしさんが70歳にして生きる喜びを書いたアンパンマンのマーチの歌詞を生み出した背景には、戦前・戦中・戦後と激動の時代を、ちょっと気が弱くて自信のないたかしと共に生き、けん引し続けた「ハチキンおのぶ」の存在があった。生きる意味も失っていた苦悩の日々と、それでも夢を忘れなかった二人の人生。何者でもなかった二人があらゆる荒波を乗り越え、“逆転しない正義”を体現したアンパンマンにたどり着くまでを描き、生きる喜びが全身から湧いてくるような愛と勇気の物語を届ける。

     実在の人物である小松暢とやなせたかしをモデルとするが、激動の時代を生きた波乱万丈の物語として大胆に再構成。 登場人物名や団体名などは一部改称してフィクションとして描き、原作はないという。また、ヒロイン・のぶ役はオーディションで決定する。

     脚本は、2014年前期の連続テレビ小説「花子とアン」も担当した中園ミホ氏が担当する。中園氏はNHKを通じてコメントを寄せ「アンパンマンが誕生するずっと前、小学生の私は、やなせさんと文通をしていました」と告白し「戦後80年、放送開始から100年目にあたる2025年、連続テレビ小説で、のぶと嵩のお話を書かせていただけることに、今、私は幼い頃のように胸を高鳴らせています」と喜んだ。

     ◆中園 ミホ(なかぞの・みほ)東京都生まれ。日本大学芸術学部卒業後、広告代理店勤務、コピーライター、占い師の職業を経て、1988年にテレビドラマ「ニュータウン仮分署」で脚本家デビュー。徹底した取材を通じてのリアルな人物描写には定評があり、特に女性の本音に迫るセリフは多くの視聴者から共感を得ている。07年に「ハケンの品格」が放送文化基金賞と橋田賞を、13年には「はつ恋」「Doctor-X外科医・大門未知子」で向田邦子賞と橋田賞を受賞。その他の執筆作に「For You」「Age,35恋しくて」「やまとなでしこ」「anego」「下流の宴」「トットてれび」、連続テレビ小説「花子とアン」、大河ドラマ「西郷どん」、「七人の秘書」「ザ・トラベルナース」など。

    https://hochi.news/articles/20231020-OHT1T51049.html?page=1

    【【漫画家】【ドラマ化】「アンパンマン」の やなせたかしさん。夫婦でNHKの朝ドラのモデルになるらしいな。【キャスティングは どうなる??】】の続きを読む


    赤塚賞の授賞式の際、審査員がペンネームについて尋ねたところ、嶋田が「ゆでたま中井が「」と説明されたとしている。だが、『週刊少年ジャンプ』の目次の作者コメント欄では嶋田が「ゆで」中井が「たまご」と表記されていた。1982年(昭和57年)9号のグラビアページ企画「作者手相」では「ゆでたま」と「」となっている。…
    47キロバイト (5,733 語) - 2023年10月16日 (月) 12:09
    ほっといたら 最後には本当に歩けなくなるんだっけか。mj

    1 少考さん ★
    『キン肉マン』原作者が入院で休載へ 変形性膝関節症の手術「2年間、膝の痛みに苦しめられました」 | ORICON NEWS
    https://www.oricon.co.jp/news/2298728/full/

    2023-10-15 23:15 ORICON NEWS

    漫画『キン肉マン』の原作者・嶋田隆司氏が、変形性膝関節症の手術と入院のため、『週刊プレイボーイ』と『週プレNEWS』で連載中の同作が休載することが発表された。連載再開については、めどが立ち次第、後日発表される。

    (略)

    ※省略していますので全文はソース元を参照して下さい。

    ※関連リンク
    https://x.com/yude_shimada/status/1713556966713503959


    (出典 pbs.twimg.com)

    【【漫画家】「キン肉マン」の原作者さん 膝の故障らしいって 辛そうやな...【しっかり治して欲しい】】の続きを読む


    渡辺 (わたなべ わたる、1971年3月9日 - )は長崎県出身の漫画家。長崎県立西陵高校、長崎大学教育学部卒業。2001年に最初の連載を持った際のペンネームはナツメハルオ。2002年からは現在の渡辺航の名義を使用している。本格的なデビュー以前には五原朋明や夏目春夫というペンネームも使用していた。…
    12キロバイト (1,584 語) - 2023年10月9日 (月) 08:42
    格差はやっぱり必要??mj

    1 征夷大将軍 ★ :2023/10/09(月) 18:51:12.66 ID:5XvTB8Ss9.net
    毎日新聞
    最終更新 10/9 17:55
    https://mainichi.jp/articles/20231008/k00/00m/040/185000c

    自転車のロードレースに青春を懸ける高校生たちを描いた漫画「弱虫ペダル」。少年誌に15年にわたって連載され、単行本の累計発行部数は3000万部超。6日には最新刊の86巻が発売された。作者は「生粋のサイクリスト」を自称する渡辺航(わたる)さん(52)。漫画家になるまでの道のりを尋ねると、作中の登場人物さながらに、もがきながら進んだ半生を語ってくれた。【聞き手・平川昌範】

    心の師匠は鳥山明先生
     ――長崎市出身とのことですが、どんな子ども時代でしたか?

     ◆山や畑に囲まれた家に生まれました。3人きょうだいで、兄と妹がいます。僕はやんちゃというほどではありませんでしたが、活発なタイプで、いつも「キャーキャー」と言っているような子でした。通知表にもそんなふうに書いてありました。

     父はサラリーマンで、母は教育熱心でした。母からは勉強して大学に行って医者になるようにいつも言われていました。僕が漫画家になりたいと言うと、「医者をやりながら漫画を描いて、その漫画を病院の待合室に置けばいいじゃない?」なんて言われていました。

     ――当時から絵を描くのが好きでしたか?

     ◆好きでしたね。裏面が白い新聞の折り込み広告を見つけては、ずっと絵を描いていました。小学校の時に鳥山明先生に憧れて、漫画家になりたいと思いました。僕の心の師匠です。

     ――「Dr.スランプ」の鳥山明さんですね。長崎大を卒業後は地元・長崎のテレビ局に入社されました。

     ◆はい。美術部という部署でテロップを作っていました。あの頃はまだ手書きのテロップで、「しばらくお待ちください」などと書く練習をしていました。実際にテレビ画面に映った時には、上司のものと比べて下手くそだなって思いましたね。ただ、テレビ局は1年とたたずに辞めてしまいました。あの頃は本当にすみませんという気持ちです。今でこそスタッフを雇う立場になって、1年以内で辞める子にため息をつく側になってしまいましたが。

     ――漫画家を目指すために退社し、上京されたんですよね。

     ◆はい。ただ、1人暮らしで寂しかったりつらかったりして、思い通りにならないことがたくさんありました。自分の選択は「失敗だった」とさえ思いました。でも、今振り返れば続けてよかったなと思います。未来は絶対に分からないし、頑張ったからといって確実に明るい未来があるとも限らないのが人生。それでもやっぱり諦めずにやっていく方がいいんだろうなと思います。

    ※以下引用先で

    【【漫画家】「弱虫ペダル」の作者 渡辺航氏。実は お金持ち??【羨ましいわ!!】】の続きを読む

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