ボードゲームのグループは、上で述べられているトリヴィアゲーム、ドイツスタイルボードゲームのほかにレースゲーム、ロール・アンド・ムーブ・ボードゲーム、アブストラクトゲーム、言葉遊び、ウォー・シミュレーションゲームを含む。いくつかのボードゲーム 50キロバイト (6,838 語) - 2020年8月19日 (水) 10:51 |
自由度で言ったら、昔のRPGの方が圧倒的にやれる事少ないと思うけど。
「ゲーム」というコンテンツが昔の勝ち負けを決めるだけのものから、
進化して今の形になったと思うのが自然だと思うね。
受入れられないなら、自分の思う昔の良きゲームだけを遊んでいればいいんじゃないの?
今のゲームは、その時代のニーズに合わせた形に変容していったものなんだから。
わざわざ昔の状態に戻さなくてもいい。
敢えてノスタルジックなゲームが出てもそれはそれでいい。そういう選択肢は多い方がいい。
>>120
ゲームは今も昔も変らない
今も昔も勝敗の意味
ゲームの定義に従えないならゲームを名乗るべきではないのでは
どちらかというと、今のゲームがゲームを名乗る必要性がない
それで売れるのなら別にゲームという名前を使う必要性がない
何故ゲームという名前を未だに使っているのかの方が分からない
>>123
>>ゲームは今も昔も変らない
変わってきたから今の形があるんでしょ?
「勝敗を決めるもの以外、ゲームを名乗るな」という話をしたいのかな?
そういう定義で行きたいのなら、それは構わないけど。
今と昔のゲームの変化について話しているのかと思ったけど、
そういう訳でもなく、「ゲーム」という言葉尻の話だったのね。
「ゲーム」という言葉を使っていないものだったら何も問題は無かった訳だ。
その辺はちょっとよく理解できないけど、娯楽コンテンツなので、本来がどうだったか
なんて事を気にすることなく目の前のものを楽しむだけなんだけどね。
(出典 4.bp.blogspot.com)
>>124
コンピューターのゲームのゲームという言葉とコンピューター以外のゲームという単語の指す内容が違いすぎる
ゲームと単に言って指す内容はルール内で行う勝負という意味
ゲームはB.C.前からから何千年もずっと変らないルール内で勝負する遊び
コンピューターのゲームが出て来た期間こそここ最近の僅かな期間でしかない
その僅かな期間でしかないコンピューターのゲームがゲームの意味を別物に解釈している
そもそもゲームと名乗る必要がないのに何故ゲームと言う単語に拘りを持つのかが分からない
>>126
コンピューターのゲームが登場した頃は、「コンピューターゲーム」「ビデオゲーム」などと区別して呼ばれていた。
今は省略されて「ゲーム」と言えば、一般的にそれらを指すものになった。
一般の多くの人は柔軟な考え方を持っているので、「ゲーム」というものの「本来」の意味など
特に考えることなく、普通に娯楽コンテンツのひとつとして楽しんでいる。
決して「ゲーム」という言葉に拘っている訳ではなく、別の呼称があればそう呼んでいた筈。
時代の流れで、今更呼称をひっくり返すのはもう難しい事だと思うが、そもそもひっくり返そうとする人が
世の中に多くいないと思う。皆、普通に受け入れている。
言葉の意味や語源の話は、あまり好みでもないのでこの辺にて失礼。
>>127
業界側が積極的に別の名前で呼ぶようにすればいいのでは?
ゲームは本来のゲームへ返却する
それで収まる
横からスマン
壊レコの主張する「興味を惹きつけられる場所」を昔のゲームは作れていて、今のゲームは作れない、という主張はともかく、
ゲームにおいて「興味を惹きつけられる場所」を作るっていう提示・テーマ自体は面白い、と思った
そういう場所って考えたとき、わかりやすいドラクエのダンジョンはそれにあたるのか?と思うと、
それは先に進むために行くのであって、その場所に興味があって行くわけではないと思ってる
「惹きつけられる場所」って何だろ?と思うと、
単純にビジュアルがいい場所だったり、景色であったり、探検ができる場所?になるのかな、と思っていて
それを実現できているのは、現在のオープンワールドかな?と個人的に思ってますが、どう思います?
>>139
シンボルには2つの意味が混ざってると思う
ひとつ世界を見渡すと見える視覚的シンボル
もうひとつはゲームクリアの手がかりとして存在するゲーム的シンボル
あなたは前者の意味で言ってるのがよくわかります。
ドラクエ2の城のマークは後者の意味で
botwのハイラル城とかは両方の意味を持つシンボルだと考える。
行きなりいくと即死罠シンボルではあるんだが
それを含めてシンボルとしての魅力だね
>>141
レスありがとう
botwは高度に両者の意味でのシンボルが融合されてますね
どういった場所にコログの実がある、とはゲームで指示されるわけではないのに、丘の上だったり、変なところに一本だけ立っている木の上だったり、
いかにも怪しくてこれを見てくれ、と言わんばかりの場所
もし、コログの実って隠しアイテムがなければ、あたりを見回して怪しい場所を探したりしないだろうから、そういった意味でも両者の意味でのシンボルですね
そうなると、惹きつけられる場所を作れるゲーム、って昔とか今じゃなく、実現できているのはゼルダの伝説ブレスオブザワイルドだけ、となりますね
(出典 pbs.twimg.com)
>>141
ゲームはゴールを目指す遊びなので
存在するものは基本的にすべてゴールに関係する前提
ゲームは全て視覚的シンボルで
そしてそのシンボルをきちんと解釈すればゲームのゴールする為の手助けになる
という前提
シンボルはもともと見渡して視覚的に見える存在で
いざ行ってみたらどのような内容だったのか?がきちんと備っていないといけない
シンボルとは目を引き付けるもの
そしてシンボルとは何らかの内容を持つ
見た目が奇麗なのよりも意味が込められていそうな場所がいい
湖の真ん中に浮かぶ遺跡を調べたら古代人の超技術だったとか
行っても意味ないただ見て来るだけだったら手抜きだなと思う
(出典 news.1242.com)
そんなこと言ったらゲームは元々ga-mannだから人の集まりと言う意味しかなく勝敗やルールもない
まして一人で遊ぶコンピュータゲームはすべて当初の意味のゲームではない
君が言うゲームは「一人で行うものは範囲内、プレイ(娯楽)の意味を含むのは範囲外」という
とても狭い時代の定義なわけで
それが絶対と言い切るのは無理があるよ
行って見たいという場所が何故作れてないか
今のゲームで気を引けるような場所を作れないのはなんでだろう
同じ石像やシンボルを出しても行って確かめてみたいとは思えない
昔のゲームはシンボルに行けば必ずゲームクリアに必要なピースがあった
今のゲームはシンボルに行くとサブイベントやミニゲームの場合もある
クリアを最優先に考える人には向かなくなってるのは確かで
botwとか怪しいとこいくと大抵コログだから
ポーチにサイズにこだわらない人にとっては「ハズレ」だらけ
ただ、それは人それぞれであり、今のゲームが劣るという結論にはならないよね
>>130
今のゲームはどちらかというとシンボルが作れていない印象
シンボルにするには、そこだけ特別な記号でないといけない
周囲同じパターンや平坦な世界でそこに違う記号が出て来たらそれはシンボルになる
周囲複雑な見た目で、様々な建造物が立っていたらシンボル性が減る
シンボルとしてみるためにはパッと見て一目で分からないといけない
>>133
今度はシンボルの意味が怪しくなってきたぞ
たとえばドラクエ2だとシンボルって何に当たるの?
(出典 cdn-ak.f.st-hatena.com)
アサクリオデッセイをはじめた時、物語上はマルコスのぶどう園に行かと言われたけど、
島の中央に鎮座してる雷神ゼウス像が目についたから、そちらに行ってみたいと思い、そちらに向かったわ
島の中央に山があって、そこに建ってる巨像が、遠くからも眺めることができ、そこに行ってみたい、
と思わせるつくりは昔のゲームには不可能
(出典 cdn-ak.f.st-hatena.com)
実際にはアサクリの雷神ゼウス像はゲーム上の意味があるけれど、
仮にゲーム上の意味がなかったとしても、行ってみたいと思うのが、惹きつけられるだろ
ドラクエの城や塔に行くのは、他とは違うという異質なものを感じて行くわけではなく、そこに行かないとクリアできないから行く
あれは何だろう?という興味を駆り立てられて、ではない
(出典 game.watch.impress.co.jp)
オープンワールドによくあるマーカーに従って行動しているだけ、という批判もわかる一方、
現実世界でもどこか目的をもって旅行するときって、地図やスマホアプリを見て、目的地をマーキングして、そこに向かうから、マーカー=ゲーム的とも言えないんじゃないか?と
「興味を惹きつけられる場所」を作れるかどうかは、作り手の問題ではなく、感性だったり、ゲームに対して能動的に目的を見つけられるか、プレイヤーに依存する気もする
根本的な問題として、興味を惹きつけられる場所を作れたら、ゲームとして面白いのか?って問題もあると思うが
>>140
どちらかというとマーカーはゲーム的ではない
ゲームとはゴールまで進むための次への行動を分からない中から見つけ出す遊び
次に進むべき先が分かってるものはゲームにならない
あっ、ハイラル城を例に出していましたね
あのゼルダのハイラル城は、ドラクエ1の最初から見えている魔王の城みたいな感じですね
(出典 zelda-bow.xyz)
>>143
竜王の城、そういえばそうでしたね
あれはRPG慣れしていない人のために
「ゴールはここ」とはっきり分からせるために置いたとか何かの記事で見た気がする
botwのハイラル城は明らかにラストダンジョンなのにいつでも行けるしクリアも可能
でも普通にプレイしてると神獣とマスターソードないとつらすぎると言う絶妙なバランスがすごいと思う
コロや宝箱、後大部分の祠はゲームの進行とは基本関係ないんだけど
「世界を見てね」というメッセージ性が強く込められてますよね
あれだけ広い世界をメインストーリーだけ出回らせるのは無理だけど
無作為に動き回っても必ず何かある、ものすごく丁寧な作品だと思う
元々コンピューターのゲームはゲームにとっての部外者な訳で
だから斜めに見られていたはず
(出典 previews.123rf.com)
>>152
TVゲームのせいでシェア奪われて職を失い路頭に迷った卓ゲ関係者ってわけでもあるまいし、そんなの実態を伴った話じゃなかろう
(出典 proclass.jp)
最近のゲームはマップが無駄に広くて移動がめんどい
特に目印もなく目的地が分かりづらい
移動も遅いしやる気うせる
(出典 1.bp.blogspot.com)
ここは壊レコの主張である、ゲームは大昔から勝敗を決めるものである、というのに則って話をしよう
話題にも出たサッカーの話を例えにして
サッカーの目的は相手より1点でも多くゴールを決める勝負だ
昔のゲームは、パスもシュートも区別なくボタンを押したら、その方向にボールが蹴られるだけ
フォーメーションの考えもなく、球に向かってみんな走る
そのうち進化して、パスとシュートの違いが出てくるが、オフサイドとかはない
今度はサイドからゴール前にクロスをあげることができたり、スルーパスを出せるようになる
ただし、利き足という概念はなく、右足と左足、頭、どれでも精度は同じ
ボールを持ってれば、前を向いていても、後ろを向いていても同じ精度でボールを蹴れる
そのうち利き足の概念ができて、選手によっては逆足の威力が落ちたり、ゴール前で後ろを向いていたら、前を向く動作で相手にボールを奪われるので、他の選手に一旦ボールを預けなきゃ行けない
このように昔のほうが、ゴールを決めるという目的に対して、できる選択肢は限定的であり、
今のゲームは選手の特性だったり、相手の戦術をみながら、ボールを運ばなくてはならなかったり、同じゴールを目指すのでも、色々な選択肢がある
今のサッカーゲームは、うまくスペースを作って、そこにボールを出さないと、得点を奪えない
このように、昔のほうがやれることが少ないというのは誰でもわかること
(出典 i.pinimg.com)
>>154
そこで書いてるのはサッカーを題材にしたコンピューターのゲームの事では?
サッカーそのものではない
サッカーの目的はタイムまでに1点以上ライバルチームより多い得点をとる事
その条件だと初期の方がよりゲームに近い
そしてサッカーに近いのも初期
サッカーは球を手でつかんではいけないというルールだけが決められている
(足を使って蹴ってボールを進めるというルールはない)
その条件だけで、ルールの穴を付いて足で蹴って球を進めるのがサッカー
初期のその方向にボールを蹴ったら
その方向にボールが蹴られるだけ
というルールが定められている
後はどうやってでもゴールに入れる遊び
そんな中でも手動でパスやシュートに当たる行動はとれる
その中でどういう手段がより突き詰めてゴールしやすいか?を突き詰めるのが本来のゲーム的なゲーム
それにパスの概念を作りコンピューター処理してしまう事で
動作レベルでプレイヤーを動かそうとする
はっきり言ってゲームとしての完成度は初期が一番で
面白さも実は初期の方
”凄い”のは後期の方
やれる事が多いのは初期の方
やれる事が少ないのが後期の方
動作をコンピューターが作ってしまっているんだから
その分プレイヤーは自分の選択を出来ない訳で
動作だけを作った最初期は何でも出来る
初期のはどの向きに向けて蹴るのか完全にフリーでプレイヤーが決める
どんなプレイングでも出来る状態
後期のは右で蹴るか左で蹴るか頭かどうか
その中だけから選択する状態
一気に出来る事が減って束縛感を感じる
>>156
>動作をコンピューターが作ってしまっているんだから
>その分プレイヤーは自分の選択を出来ない訳で
>動作だけを作った最初期は何でも出来る
>初期のはどの向きに向けて蹴るのか完全にフリーでプレイヤーが決める
>どんなプレイングでも出来る状態
ただの屁理屈
どの向きに向けて蹴るのか、それは今のゲームもプレイヤーは決められる
それどころか、今のゲームだったら、選手に向けたパスなのか、スペースに出すスルーパスなのか、グラウンドのボールなのか浮き球なのか、いろいろな選択肢がある
壊レコの言葉を引用すれば、
昔のサッカーゲームは、ボールを蹴るというAという手札しかない、それしかできないのに対して、
今のゲームは、パス・スルーパス・クロスなど色々な手札があり、その手札にもそれぞれ特性があるから、最適解を探す楽しみがある
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