ボードゲームのグループは、上で述べられているトリヴィアゲーム、ドイツスタイルボードゲームのほかにレースゲーム、ロール・アンド・ムーブ・ボードゲーム、アブストラクトゲーム、言葉遊び、ウォー・シミュレーションゲームを含む。いくつかのボードゲーム 50キロバイト (6,791 語) - 2020年1月27日 (月) 10:39 |
ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ・ワイルド
スーパーマリオオデッセイ
(出典 amage.up.seesaa.net)
(出典 i.gzn.jp)
勝手に敵認定(笑)
ゲーム=スマホゲーみたいな風潮
>>7
朝から晩までスマホギャルゲーのCMバンバン流れる時代になるなんてな・・・
(出典 i.meet-i.com)
自由度厨はゲームデザインというものが考えられない阿呆だから仕方が無い
将棋の駒を自由にどこまでも動かせるようにしたら面白くなると思っている
>>8
そういうどちらか一方しか認めない風潮
自由度が高いのは良いけど、それだけ面白いイベントをたくさん用意しておかないとな
ゼルダは自由度高過ぎだったな
その気になればいきなりラスボスのとこに行って倒せるらしいし
もちろんスキルが無い初見じゃ無理だろうが
(出典 i.pinimg.com)
>>10
自由度を謳うゲームでは昔からよくある奴だよそれ
マリオワールドはスターロードで早い時期からクッパと戦えるな。
しかも最終面の難易度が凄く低い
(出典 i.gzn.jp)
自由度が高いか低いかは単なるゲームデザインの違いの問題でしかない
自由度が高いからこそ出来るゲームもあれば自由を抑えるからこそ出来るゲームもある
自由度が高いって一口に言っても
シナリオ的自由度なのか戦略的自由度なのかキャラメイク的自由度なのか
どこに自由な点を見出すかで変わってくるわな
オープンワールドを箱庭っていうと怒られる風潮
>>15
いやそれは怒るよ
部分的に自由度が高くみえるが、何かでそれを制限してるなら
それは自由度が高いといえるのだろうか?
>>19
例え錯覚であってもプレイヤーが「何でもできる」と感じればそれは自由度の高いゲームだよ
シナリオ的に自由度が高いと言えばデアラングリッサーかな
帝国ルートとか闇ルートとか独立軍ルートは一本道だけど
光輝ルートは4ルートくらいあったな。
ベルンハルトとボーゼルが同時に出てくるマップでどっちを先に倒すかで残った方がラスボスになったり
セガサターンの移植版ではもっとパターン増えてたし
自由度が高い反面、ラスボスを倒すまでのストーリーは結構短かったな
全部の展開を合計するとかなりのボリュームだけど
ロマサガやメタルマックスは順番気にせずにいろんな場所にいけるけど
ストーリー自体は薄いな。
(出典 img.atwikiimg.com)
デアはルートは多彩だけどその分シナリオが短い
自由度ってプレイヤーへの甘やかしにしかならないよな
無数の死に方を選べることを自由度とは言わないだろ?
つまりは複数のルートそれぞれにメリットを持たせなければならない
単に損するだけなルートはあってもないのと同じ
もっとも自由なゲームとは何をしても死なない、何をしても資産が増えていく、何をしてもクリアできるゲーム
つーか今さら
村長が火山を鎮めるのに必要な杖を持っているけど、
今村長は病気だから治療しなきゃいけないけど、
その治療法を知っている奴が砂漠の国にいるかもしれなくて、
砂漠の国に行くための船を持っている奴が山賊に捕まっていて、
山賊のアジトに攻め込むためには盗賊団のリーダーと仲良くなる必要があって、
伝説の砂漠の遺跡に眠る古代の秘宝を取ってきて渡す必要がある
みたいなゲームやれないだろ
>>31
最近やった洋RPGがまさにそんなシナリオだったんだけど
divinity:original sinというやつだが
長いクエストを作るとどうしてもそんな形になるしかない
>>31
見てる場所が違ってる
どっちかというと究極的にはそれみたいなゲームをやりたい
・自由度の低いゲームをその例に当てはめると
まず『古代の秘宝をとれ』
それ以外の行動がとれず
だからその行動をとると次は
『盗賊団のリーダーと仲間になる』
それ以外の行動がとれず強制される
以後このパターン
テンポが速いのと、粗筋をたどってるだけという印象で
やらされている感
・逆に自由度の高いゲームに当てはめると
まず最初に取らなきゃいけないのは『古代の秘宝』
古代の秘宝を取って来ると先に進める
だけどそれは自分で発見する事でそれ以外の行動もとれる
いろいろな行き止まりにぶつかりながら
『古代の秘宝を取って来ればいいんだ』というのを発見して実行した場合にのみ一歩前進する
要するに自由に行動した結果次の段階への進み方を発見する
・ちなみにOWはこう
遺跡に眠る古代の秘宝を取ってきてもいい
盗賊団のリーダーの仲間になってもいい
何をやってもいい
制限があるからこそゲームは面白い気がする
FF1やDQ3みたいにパーティーに
プレイヤーの個性が反映されるのが善
最終的に誰が遊んでも結局みんな一緒になるのが悪
ストーリーを、プレイヤーが自分の選択による出来事だと思わせる演出
一本道のRPGに対する「自由度」とはこのことで、今やすごく基本的なこと
そんな演出がうまく行ってるゲームなんて見たことないな
洋ゲの有名どころは一通りやったが、いずれも選択肢の個性が強すぎて自分の分身とはとても思えなかった
確かに自由度の高さ=優秀なゲームとは単純にはならない
自由度が高いほどゲームバランスを煮詰めにくくなって大味になりやすいって欠点もあるからね
メインシナリオが一本道でも
おまけが楽しければ自由度が高い気がするよね
自由ってのは本当は怖いもんだよな、ゲームでも
何でもできるって言われたら、何からすれば失敗しないのかWikiで調べる時代だし
そもそも、育成の手間がかかりすぎたり、ゲームプレイの時間が壮大過ぎたりで
一度の失敗がやる気から根こそぎ奪うことも多い
自由度が高いってのは結局、失敗しない、失敗してもやり直しがきくっていう、
そういう安心感のことじゃないかと思うわ
凡プレイヤーは攻略本買わないと解読不可能レベルな(それを狙ったアコギな商売)進めたら消えてしまう隠し要素
は悪しき物いらない物扱いなのだ
某和製オープンワールドでイベントがカレンダー式に配置されてて
攻略情報無しでイベント探そうとしたら各日付で二つ三つのイベントのために
オープンワールドくまなく探して回らなきゃならん、みたいなのあったな
オープンワールドはプレイヤーがいつ来てもいいようにイベントが待ってなきゃならんのだ
自由があると他の選択肢が気になってしょうがないから
一本道がいちばん
>>72
もともとのゲームの自由度と言っていたものと
それらの言う自由度とは根本的に別物だと思う
>>73
他の選択肢を試す事の出来る土壌だって部分が自由度
一本道のはそういう部分のない構造
何を選んでもそのまんま進みその他の可能性を意識する必要ない仕様だけど
いちいち戻って別の選択する人はいないだろうし
どっちに進んでもそれは個人の選択の尊重なだけで突き詰めたらどっちを選んだって同じだから
「そうではない部分」っていうのは調べる可能性を秘めてるってだけで自由度として効いてる
要するに戻ってどうなるか調べる価値を秘めてたりする
それにそもそもプレイヤーの個人の選択の尊重はいっぱい作る事は出来ないけど
そうでない選択っていうのは簡単に大量に作れる
同じコスト掛けたら作れる絶対量が全然違って来る
具体的なゲームの話をしないと意味ないよ
俺はドラクエすら計り知れないほどの自由度を感じたけどな。
攻略本も見てなくて船の存在なんて全く知らないから陸以外は行けないと思ってた。
初めて船を手にした時の自由感は半端なかった。
「何だこの島?入ってみよ」→わけわからん敵が出て全滅
こんなのでも物凄いスリルだったし大冒険だったし楽しかったよ。
でも不思議なことに、今どきのゲームでアメリカの広大な街を車で走っててもあまり楽しくない。
ドラクエやってた当時の俺なら自分なりの楽しみ方を見つけて楽しんだだろうが。
(出典 images-fe.ssl-images-amazon.com)
ずっとケムコだけしてろよw
(出典 retoromania.%E3%82%B3%E3%83%A0)
自由度が高いゲームは
作るのが大変だからな
その大変なものを作れるからこそ、賞賛される
むしろ自分の人生の自由度を上げたい…
一本道ゲームは息抜きとか気分転換ができない感じがする
選択肢が多いにこしたことはない
が、本筋がつまらなければ意味ないな
「自由度が高い」ってのは結局「マップが広い」や「キャラが多い」といった特徴とたいして変わらない
広いこと、多いことに意味がないと面白くはならないし狭くても少なくても面白くはできる
自由度って自由なゲームと自由じゃないゲームで極端すぎると思う
キャラメイクできるRPGは仲間キャラがキャラメイクキャラオンリーで
ストーリー上で仲間になるキャラが一人もいないし
中途半端に自由で中途半端に自由じゃないゲームがあっても良い思う
自由至上主義のゲームは自由に縛られ過ぎて逆に不自由に感じる事もある
自由度の高さを謳ってるゲームがさして自由でもなかったりするし
組み合わせの多さをアピールするゲームは地雷
10億通り!!とか騙ってるゲームは超地雷ではあるな
膨大なキャラクリ謡ってたゲームで顔の輪郭、目鼻口セット、髪形が数種ずつの組み合わせだったこともある
しかも正規の組み合わせじゃないと明らかにおかしくなるのでまとも数種以外は全部色物とほぼ選択肢がない
今は自由度が高いゲームが安く買えていいね
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