藤子 不二雄Ⓐ(ふじこ・ふじお・エー)こと安孫子 素雄(あびこ もとお、1934年〈昭和9年〉3月10日 - 2022年〈令和4年〉 4月7日)は、日本の漫画家。藤本弘(藤子・F・不二雄)とともに藤子不二雄として活動した。共作の『オバケのQ太郎』や『忍者ハットリくん』、『怪物くん』、『プロゴルファ 41キロバイト (6,018 語) - 2022年4月8日 (金) 14:25 |
今でも読める普通に本屋に売ってる作品が藤子不二雄F
今だと読めない本屋においてない作品が藤子不二雄A
見分け方は簡単
>>744
藤子不二雄Fじゃなくて藤子・F・不二雄な
>>749
しかし藤子不二雄F表記の期間も若干あったな
>>765
コンビ解消直後は藤子不二雄Fと藤子不二雄Aだったと思う
>>744
昭和期はアナーキー作のほうが有名だったよ
唯一ジャングル黒べえが無限再放送されてたぐらい
(出典 pbs.twimg.com)
Fの死後Aが関わってくれれば今の悲惨な状態にはならなかったと思われる。
>>745
今何が悲惨なの?
Fの死後も持ち上げる発言はあっても腐すことはしなかったしFの残した漫画には関与しなかったし徹底してた
>>750
そうなんだ
きっちり権利分けって感じなんだな
こういう仲でなーなーになってないというのはいいことだね
死後トラブルにならない
>>753
A先生
ゆでたまごみたいに全部共作なら
遺族も著作権50%でわかりやすいのだがな
F先生が永らくA先生のスタジオ隅で売れない学年誌漫画書いててのに
ドラえもん単行本発行してバカ売れ
ドラえもん専門雑誌コロコロコミックもバカ売れして再アニメ化したんだよね
その後、Fの健康不安から遺族に著作権問題遺さないようにコンビ解散快諾したAすごい
解散後も近所に移動しただけらしい
(出典 www.entameplex.com)
>>758
記憶から欠落しているが
史実ではアナーキー先生は肉食しない
手塚先生のおごりのうな丼は人生初めてで鼻血吹いた
>>758
ハムがF
サラダがA
肉が食えなくて野菜ばっかり食べてるほうがサラダって覚えとけばいい
ローカルの番組は一切ドラえもんに触れてなかったので
なんでだろう?と疑問だった
Fさんが死ぬまで全部共作だと思ってた
今回の訃報に触れて初めてドラえもんがF先生の作品なのを知った。
テレビで見てただけの俺は藤子不二雄先生がお二方なのは存じ上げていたが、何がどちらの作品とかそれぞれ別の創作されていたとかは知らなかった。
先に鬼籍に入ってしまったF先生の場面では亡くなった事実以外把握してなかったから、今回知れて良かったよ。
教えてくれてありがとう。
>>764
俺たちおじさん世代は、小学生の頃「藤子不二雄って2人組なんだぜ」って豆知識は常識だし、
コンビ解散も目の当たりにしてるからな。
疑問も違和感もないんだよね。
AとFが別れる前はドラえもんも共同で執筆してたそうだし
別れた後にF先生の作品って事にしたんじゃないの?
そう考えると初期は絵柄が違う回がチラホラあるんだよね
(出典 bunshun.ismcdn.jp)
>>770
だからしてねーよ
なんで合作ってことにしたがってんだよ?
コロコロの初期に弟子の片倉がドラえもん大百科連載してたけど
そこではTVアニメや映画情報として作者藤子不二雄の二人の挙世が書いてたからな
あれ観てるとAがドラえもんに全然絡んでなかったとは思えないよ
まあ、細かく見直すと実は解るのかも知れないけど、如何せんその藤子不二雄の挙世の話しの回は単行本に載ってないらしく観ることが難しいからなぁ
>>774
女の子が可愛けりゃほぼFと思っていい
画面が白い=F
画面が黒い=A
流石に亡くなった方を間違えるのは恥やろ
そもそも近しい人でもないならコメントしなくていいからな
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