漫画家(まんがか)は、漫画作品を描く人および職業。1コマの風刺漫画、4コマ漫画、1話完結型漫画、長編ストーリー漫画などの絵を描く制作者が漫画家と呼ばれ、分類されている。 日本漫画家協会は英名が「JAPAN CARTOONISTS ASSOCIATION」であり、漫画家
11キロバイト (1,650 語) - 2021年9月29日 (水) 08:34



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世界的にも 有名になったりね。mj

1 鳥獣戯画 ★ :2021/10/29(金) 20:36:38.72

マグミクス2021.10.29
https://magmix.jp/post/65713

●諫山創(代表作:『進撃の巨人』)

 まず最初は、超ヒット作『進撃の巨人』の作者・諫山創先生です。『進撃の巨人』の持ち込みが「ジャンプ」に落とされたことは、諫山先生自身が明言しており、メディアでもたびたび取り上げられています。当時の担当編集に言われたとされるセリフ「マンガじゃなくて『ジャンプ』を持って来い」も有名です。

 ジャンプに落とされた後に「週刊少年マガジン」編集部に持ち込まれた『進撃の巨人』は新人賞を獲得。その後、「別冊少年マガジン」で連載が開始されると、アニメ化とともに人気が爆発し、現在では累計発行部数1億部を突破する超人気作となりました。

 結果だけみると、「ジャンプ」編集部は失敗したのかもしれませんが、もし通ったとしても、アンケート制の週刊連載であの重厚な物語を描ききれたのかどうか……? 月刊の「別冊少年マガジン」に移行したことも成功の一因かもしれません。

●高橋留美子(代表作:『うる星やつら』など)

 数々のヒット作を生み出してきた高橋留美子先生は、インタビューなどで、大学時代に「ジャンプ」に持ち込みをしていたというエピソードを話しています。そのときの担当編集は、のちに鳥山明先生を発掘する名編集者・鳥嶋和彦さん。しかし、「ジャンプ」での連載は叶わず、「週刊少年サンデー」に流れてしまったのでした。

 その「サンデー」で掲載されたのが、デビュー作の読み切り『勝手なやつら』。SF要素の入ったドタバタラブコメは当時斬新で、高い評価を受けることになります。この評価がかの『うる星やつら』の連載につながり、同作は大ヒットを飛ばしました。

 その後、『らんま1/2』『犬夜叉』『境界のRINNE』『MAO』と、長年「サンデー」を支え続ける作家となりました。もしも高橋先生が「ジャンプ」で連載をスタートさせていたら、大きく歴史が変わっていたことでしょう。

いま振り返れば「努力不足だった」と、大人なコメントも
10代で集英社の賞を獲得するもデビューできず、遅咲きとなった渡辺航先生の代表作『弱虫ペダル』第1巻(講談社)

●オダトモヒト(代表作:『古見さんは、コミュ症です。』)

「週刊少年サンデー」で連載中のコメディマンガ『古見さんは、コミュ症です。』は、累計発行部数は550万部を突破し、2021年にはアニメ化・ドラマ化されるなど、注目を集めている作品です。

 作者のオダトモヒト先生は、「週刊少年サンデー」の巻末マンガ『サンデー非科学研究所』で、自身のルーツが紹介されていました。それによると、過去に「ジャンプ」に持ち込みをしたものの「つまらない」とバッサリ切られてしまったとのこと。他に持って行ったネームも「多分意味ないと思うけど見るわー」と言われるなど、かなりひどい編集に当たってしまったようです。

 オダ先生のネームは『ジャンプスクエア』の編集には好評だったものの、結局「サンデー」で「これすごくいいです!」とかなりの評価を得たため、そのまま読み切りを「小学館新人コミック大賞」に応募して、見事大賞を受賞。その後、2014年に『デジコン』でデビューすることとなります。

 そしてオダ先生は、2016年から連載の『古見さんは、コミュ症です。』で大ヒットマンガ家の仲間入りを果たしたのです。

●渡辺航(代表作:『弱虫ペダル』)

「少年チャンピオン」にて2008年から連載中の『弱虫ペダル』は、ロードレースを題材とした熱いスポーツマンガ。累計発行部数は2500万部を突破している大ヒット作です。

 作者の渡辺航先生が本作でブレイクしたのは、30代後半のことでした。実は渡辺先生はその20年以上前の1986年、15歳にしてすでに集英社の第22回ホップ☆ステップ賞で佳作を獲得しており、そこから数えるとかなりの遅咲きです。

 もともとは「週刊少年ジャンプ」の大ファンで、賞をとってからすぐにデビューできると考えていたという渡辺先生。しかし、その後も赤塚賞で佳作や準入選は果たすものの、結局「ジャンプ」での連載は叶わず、戦力外通告を受けてしまうのです。

 渡辺先生は当時のことを「ただの努力不足ですよ」と語っています。「ジャンプ」から切られたという経験があってこそ、いまの『弱虫ペダル』があるのかもしれません。

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