専業主婦の姿をしたじーさん。 ふかづめじーさん 深爪をした指の姿をしたじーさん。必殺技は「ふかづめアタック」 カタツ無理じーさん かたつむりのじーさん。でかいケツじーさんの後をつけ、でんぢゃ軍をぢゃらす城へと先導した。 カミの毛じーさん 一本の髪の毛に目がついたじーさん。でんぢゃらす 164キロバイト (26,881 語) - 2020年4月27日 (月) 04:28 |
漫画家
【漫画家】「タイガーマスク 」などの名作の作者 梶原一騎先生と仲間達を語ってくれ!!
梶原 一騎(かじわら いっき、1936年9月4日 - 1987年1月21日)は、日本の漫画原作者、小説家、映画プロデューサー。本名は、高森 朝樹(たかもり あさき)。高森 朝雄(たかもり あさお)の筆名も使用した。格闘技やスポーツを題材に、男の闘う姿を豪快に、ときには繊細に描き出し、話題作を次々と 80キロバイト (12,412 語) - 2020年4月8日 (水) 01:02 |
【漫画家】松本零士氏 元気に復活!!
零士メーター)とも通称される。 デビューから1968年までは本名のひらがな表記である松本 あきらのペンネームを使用。松本零士名義は1965年から松本あきら名義と並行して使い始め、1968年に松本零士にペンネームを一本化した。ペンネームの由来は、“零 72キロバイト (10,498 語) - 2020年4月4日 (土) 05:46 |
【漫画】途中で方向性が完全に変わった漫画www【雑談】【漫画家】
皆さんは、『月刊コロコロコミック」(小学館)で1980年から連載された『とどろけ!一番』という漫画をご存知でしょうか。受験をテーマにした漫画だったのが、突如ボクシング漫画に方向転換した伝説の漫画です。
最近では、しがないサラリーマンがチート能力を持つスライムに生まれ変わったり、平凡な高校生がヤムチャに生まれ変わったりと、転生モノは漫画、アニメ、小説の一大トレンドになっていますが、一昔前には『とどろけ!一番』のような、転生ならぬ、作中で華麗なる“転身”を遂げた作品がいくつもありました。
■柔道漫画から国民的野球漫画へ!
意外と知られていないのが、水島新司先生による国民的野球漫画『ドカベン』(週刊少年チャンピオン/秋田書店)が、当初は柔道漫画だったことです。コミック第1巻の表紙では、山田太郎と岩鬼正美がドドーンと柔道着姿を披露しています。
山田の中学時代を描いた「柔道編」は実にコミック7巻まで続き、明訓高校に入学して晴れて野球漫画へと変わるのです。『豪華版 ドカベン』では、この「柔道編」が収録されていないことも、“柔道漫画のドカベン”があまり知られていない一因かもしれません。
ではなぜ、柔道漫画から野球漫画に方向転換したのか? これは別に黒歴史というわけではなく、水島先生いわく、当時『週刊少年サンデー』(小学館)でご自身が野球漫画『男どアホウ甲子園』を連載していたため、それが終わるまで配慮したとのこと。テレビ業界でいうところの“裏番組への出演NG”に意味合いが似ているかもしれませんね。
もともと柔道部に入る前の山田太郎は野球少年であり(さらにそれ以前は納得の相撲少年)、「柔道編」でもたびたび野球への伏線が張られていたため、野球漫画への転身はあらかじめ想定されていた自然な流れだったのです。
それにしても「柔道編」時代の山田太郎は、カバンの中はバカでかい弁当箱(ドカ弁)のみ、手のひらに妹のサチ子を乗せて町内を闊歩するなど、のちの彼からは想像もできない“奇行”を見せてくれるのも必読ポイントです。
★続く
(出典 i.imgur.com)
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https://futabanet.jp/articles/-/80859?page=1
※前スレ
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1586260668/
【漫画家】「NARUTO」作者の 新作打ち切りによる 漫画家特有の苦悩の件
岸本 斉史(きしもと まさし、1974年11月8日 - )は、日本の漫画家。岡山県勝田郡奈義町出身。既婚者。同じく漫画家の岸本聖史は双子の弟。九州産業大学芸術学部卒。愛称はキシモッさん、キッシーなど。 1996年、『カラクリ』が第132回2月期ホップ☆ステップ賞にて佳作を受賞し、デビュー。翌年19 14キロバイト (2,021 語) - 2020年3月24日 (火) 04:33 |