渡辺 (わたなべ わたる、1971年3月9日 - )は長崎県出身の漫画家。長崎県立西陵高校、長崎大学教育学部卒業。2001年に最初の連載を持った際のペンネームはナツメハルオ。2002年からは現在の渡辺航の名義を使用している。本格的なデビュー以前には五原朋明や夏目春夫というペンネームも使用していた。…
12キロバイト (1,584 語) - 2023年10月9日 (月) 08:42
格差はやっぱり必要??mj

1 征夷大将軍 ★ :2023/10/09(月) 18:51:12.66 ID:5XvTB8Ss9.net
毎日新聞
最終更新 10/9 17:55
https://mainichi.jp/articles/20231008/k00/00m/040/185000c

自転車のロードレースに青春を懸ける高校生たちを描いた漫画「弱虫ペダル」。少年誌に15年にわたって連載され、単行本の累計発行部数は3000万部超。6日には最新刊の86巻が発売された。作者は「生粋のサイクリスト」を自称する渡辺航(わたる)さん(52)。漫画家になるまでの道のりを尋ねると、作中の登場人物さながらに、もがきながら進んだ半生を語ってくれた。【聞き手・平川昌範】

心の師匠は鳥山明先生
 ――長崎市出身とのことですが、どんな子ども時代でしたか?

 ◆山や畑に囲まれた家に生まれました。3人きょうだいで、兄と妹がいます。僕はやんちゃというほどではありませんでしたが、活発なタイプで、いつも「キャーキャー」と言っているような子でした。通知表にもそんなふうに書いてありました。

 父はサラリーマンで、母は教育熱心でした。母からは勉強して大学に行って医者になるようにいつも言われていました。僕が漫画家になりたいと言うと、「医者をやりながら漫画を描いて、その漫画を病院の待合室に置けばいいじゃない?」なんて言われていました。

 ――当時から絵を描くのが好きでしたか?

 ◆好きでしたね。裏面が白い新聞の折り込み広告を見つけては、ずっと絵を描いていました。小学校の時に鳥山明先生に憧れて、漫画家になりたいと思いました。僕の心の師匠です。

 ――「Dr.スランプ」の鳥山明さんですね。長崎大を卒業後は地元・長崎のテレビ局に入社されました。

 ◆はい。美術部という部署でテロップを作っていました。あの頃はまだ手書きのテロップで、「しばらくお待ちください」などと書く練習をしていました。実際にテレビ画面に映った時には、上司のものと比べて下手くそだなって思いましたね。ただ、テレビ局は1年とたたずに辞めてしまいました。あの頃は本当にすみませんという気持ちです。今でこそスタッフを雇う立場になって、1年以内で辞める子にため息をつく側になってしまいましたが。

 ――漫画家を目指すために退社し、上京されたんですよね。

 ◆はい。ただ、1人暮らしで寂しかったりつらかったりして、思い通りにならないことがたくさんありました。自分の選択は「失敗だった」とさえ思いました。でも、今振り返れば続けてよかったなと思います。未来は絶対に分からないし、頑張ったからといって確実に明るい未来があるとも限らないのが人生。それでもやっぱり諦めずにやっていく方がいいんだろうなと思います。

※以下引用先で

【【漫画家】「弱虫ペダル」の作者 渡辺航氏。実は お金持ち??【羨ましいわ!!】】の続きを読む