プロ野球ファミリースタジアム


    プロ野球ファミリースタジアム』(プロやきゅうファミリースタジアム、Pro Yakyu Family Stadium)は、1986年12月10日にナムコ(後のバンダイナムコエンターテインメント)から発売されたファミリーコンピュータ(ファミコン)用野球ゲームソフトである。…
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    しかも実在しとるしな。mj

    1 尺アジ ★ :2023/02/19(日) 19:23:06.87ID:SXInAYdU9
    野球ゲームで振り返る名選手の偉大さ:落合博満


     あの頃、少年たちにとって、落合博満は『北斗の拳』のラオウとか、『キン肉マン』の悪魔将軍のような架空世界の中の現実感のないキャラクターだった。

     圧倒的なラスボス感。かつリアリティのなさ。三冠王3度の大打者ながら、そのプレーはほとんど見たことがない。

     当時のロッテは日本シリーズとは無縁で、テレビの野球中継も皆無に近かった。だけど、野球カードや選手名鑑で知る背番号6の打撃成績は圧倒的だ。打率やホームラン数は、『ドラゴンボール』における戦闘力のような説得力があった。



    初代ファミスタの「おちあい」


     そんな時代に世に出たのが、ファミコンソフト『プロ野球ファミリースタジアム』だった。本作がナムコから発売されたのは1986年12月10日。まさにロッテ・落合のトレード話が世間を騒がせていた渦中である。

     この年、33歳の落合は打率360、50本塁打、116打点、OPS1.232という凄まじい成績で2年連続の三冠王に輝く。だが、尊敬する稲尾和久監督が去り、有藤通世新監督が就任することで、移籍が既定路線に。

     結局、ファミスタ発売直後の86年12月末に、スポーツ紙で移籍成立秒読みと報道されていた巨人ではなく、打倒・巨人に燃える星野仙一新監督率いる中日への1対4の大型トレードが決まる。

     のちに星野監督はスポーツ報知の取材に「ロッテは篠塚を欲しかったが、巨人は篠塚を出せなかった」と明かしている。まだ25歳の最多セーブ投手・牛島和彦と、当時破格の年俸1億3000万円をぶっこんだ中日の本気度が上回ったのだ。


     つまり、初代ファミスタはギリ間に合った貴重な“ロッテの落合”が収録された一本になるわけだが、実際は日本ハムとロッテの食品系連合球団フーズフーズの三番打者で登場(四番はロッテの最強助っ人「りい」)。

     「おちあい」は同じく2年連続三冠王のバース……じゃなくて打率.360・50本塁打のタイタンズの「ばあす」と双璧のゲーム最強打者として君臨する。

     だが、これ以降に発売される87年のファミスタシリーズからは、ドラサンズの4番打者にデューダ(※80年代後半に流行った“転職”の造語)。ジャレコの初代『燃えろ!!プロ野球』も87年6月発売なので、打率356・50本塁打のCDCLUBの四番「オチアイ」。なお、燃えプロの続編では「うちあい」だ。

    ※続きは以下ソースをご確認下さい

    2023.02.17. 07:08
    BASEBALL KING

    https://baseballking.jp/ns/column/355256

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    プロ野球ファミリースタジアム』(プロやきゅうファミリースタジアム、Pro Yakyu Family Stadium)は、1986年12月10日にナムコ(後のバンダイナムコエンターテインメント)から発売されたファミリーコンピュータ(ファミコン)用野球ゲームソフトである。…
    25キロバイト (2,797 語) - 2022年10月9日 (日) 11:15
    あれは結構盛り上がったわ。mj

    1 愛の戦士 ★ :2023/02/03(金) 11:14:23.12ID:lZ2l4MP69
    baseballking 2/3(金) 7:08

    「もんた」から知った偉大さ
    ◆ 野球ゲームの移り変わりから見るプロ野球史~番外編:門田博光

     80年代、多くの野球少年にとって、パ・リーグの試合観戦はハードルが高かった。

     毎試合地上波テレビで中継されていた巨人戦がリアルな日常の風景ならば、パ・リーグの試合はある意味“ファンタジー”だった。

     子どもが夜遅い時間の『プロ野球ニュース』を見るのは難しく、もちろんまだDAZNやパ・リーグTVは存在しない。コロコロコミックの漫画『かっとばせ!キヨハラくん』や、毎年日本シリーズに出る黄金期の西武ライオンズ以外、関東近郊で関西のパ・リーグ球団を1試合がっつり見る機会は皆無に等しかったのである。


     そんな時代に子どもたちは、ファミコンの野球ゲームからパ・リーグの選手を覚えた。86年12月10日発売の記念すべき『プロ野球ファミリースタジアム』第1作目、パ球団はライオネルズ、レールウェイズ、フーズフーズの3チーム。

     阪急・近鉄・南海の関西鉄道連合チームという括りのレールウェイズは、チーム打率.292・258本塁打・代打打率.282とすべて全チーム中1位の猛打がウリだったが、そこで左の代打の切り札として控えるのが、打率270・26本塁打のベテランスラッガー「かどた」である。

     もちろん、モデルは南海の背番号60・門田博光だ。ホームランはヒットの延長的なその一発の魅力と、走力4の恐ろしい鈍足ぶりに少年たちは戦慄した。





    ◆ ゲームでも存在感抜群の「もんた」

     シリーズ2作目の『ファミリースタジアム’87』では、阪急がブラボーズで独立して、レールウェイズは南海と近鉄の混合チームに。そこで四番を張るのは、打率.302・30本塁打の「かどた」である。

     今作でもチーム1の鈍足“走力4”は変わらず。なお、このシーズンの門田は39歳にして史上24人目の通算2000安打を達成。そして、88年シーズンには44本塁打・125打点という凄まじい数字で打撃二冠を獲得してみせる。40歳の狂い咲きで“不惑の大砲”と社会現象となるも、所属する南海ホークスはダイエーへの身売りが発表されて消滅してしまう。


     『ファミリースタジアム’88』では、ついに南海もホーネッツの単独チーム扱いで収録されるが、メジャーリーガーズに対抗する日本人選手屈指の強打者として四番を打つのは、もちろん「もんた」しかいない。

     打率.308・38本塁打に、もはや鉄板ギャグ化する走力4。なお、これはブラボーズの「ぶうまん」と並んでリーグワーストの鈍足設定である。南海と阪急の身売りという衝撃的なニュースで、伝説のレールウェイズの歴史も、昭和の終わりとともにこうして幕を閉じた。


     さて、88年シーズンのMVPに輝いた門田は関西でのプレーを希望して、福岡行きではなく、近鉄との争奪戦を制した新興球団オリックスへトレード移籍。89年のオリックスブレーブスは3番ブーマーが打率.322・40本塁打・124打点。4番門田は打率.305・33本塁打・93打点。さらにその前後を松永浩美、石嶺和彦、藤井康雄らの強打者が固める“ブルーサンダー打線”を形成して球界を席巻する。

     ペナントで開幕8連勝を飾り、序盤から独走態勢。8月には一時2位に転落するが、そこから盛り返し121試合目にマジック9が点灯。近鉄とともに王者西武をあと一歩まで追い詰めるが、ホームランを打った門田が出迎えた巨漢ブーマーとハイタッチして右肩を脱臼するというなんだかよく分からないアクシデントにも見舞われ、首位近鉄とゲーム差「0」の2位に終わる。

    ※全文・詳細はリンク先で
    https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/f369b5578867dbb5a41a2ca182608f69250533fa&preview=auto

    (出典 i.imgur.com)

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