声優の仕事は東京に集中していった。 声優プロダクション付属の声優養成所(養成所)、声優になるためのレッスン指導を主とする養成所、声優関連の学校(声優養成学科がある専門学校)などの出身。 声優になることを目指すには、声優 86キロバイト (12,968 語) - 2020年2月22日 (土) 07:59 |
声優の実態が本当にこういうものになっていると言うなら
役者や演出家から評価されないのも納得だけどなあ
人工音声にすら置き換え可能な方向でそいつがやる事の価値が無いここで、例えば、声優の話をすると、私の知っている自身の声と、録音された私の声のギャップを解消する為に、
声優は当初、繰り返し録音された自身の声を聞くという。そしてそれが不気味さや違和感に慣れてくると、
その聞こえのギャップを埋める声をつくり出していく。それは私が聞こえている声と他人が聞いている声が一致するような声だ。
それは作り声である。アニメの声優はより記号的に作りかえていく。
特にそれは私のこの固有の身体性を極力打ち消そうとし、そうしたノイズがキャラクターを疎外しないように、
自身を匿名化していく作業だといわれている。
匿名的であるから、身体=人格を声から分離させることで、音響メディアを通して、
視覚的な動く対象(アニメ等の動く図像)など、あらゆるものに憑依できるといえなくもない。
>>5
役者も演出家もお前の知識量は確実に俺らより下なんだが…
櫻井は何気に若手の演技について辛口に語るんだよ
だいたいが男声優について語ることは多いけど
今回みたいに後輩の女声優に対して論評するのは珍しいな
(出典 www.tvlife.jp)
声優は記号的という話が上手くまとまっていると思ったからね
それについての見解を聞いて行きたいと言うまでの話
盗作騒動の櫻井は名のある演劇関係者を相手に回したとしても
声優の舞台ごっこでは無いと胸張れるほど役者としての地位があるの?
(出典 www.toei-anim.co.jp)
それではここから本題に
「記号的な声優芝居」をひどく嫌悪する者と自称する
アニメ監督である今敏の見解を見て貰おうか
私もこれに全面的に同意なんだよね 人格を持った生命は機械では無いのだから
常に揺らぎの生じる存在である以上、その揺らぎが一語一語のセリフに反映されないとおかしい
あるいは揺らぎこそがセリフであり身振り手振りといったものとして表れている
これを表現するのが役者であり芝居だろ 声優は本質からズレているんだよ
>>9
今敏はそう言いつつ普通に声優を起用しているのが事実
しかし死人に口無しを利用するとかホント人間のゴミクズだな
恥知らずが
今監督が声優がやってるのは芝居もどきだという認識があったのなら
その指摘もまだ分かるが、そうじゃないのならそれはただの幼稚極まりない逆ギレだな
常識のないお前に常識を語るのは無理があるw
そんなもん監督が何を望んでるかによるだろw
監督が何を考えてキャストを選んでるのかという意図も考えないで
プレスコなら声優使わずに済むなんて断言する方が
よっぽど何もかもの自覚の足りないバカの妄言だな
プレスコが制作環境良いって妄想、どこから来たんだ? もしかして昔の知識?
プレスコは別に制作環境よいわけじゃなく、特に最近3D系で使われるけど
映像とか無いまま、監督や関係者のディスカッションで
声優の掛け合いの間とか重視してるから声優じゃないと出来ないんだけどね
もしかしてと思ったがプレスコが制作環境良いって
90年代ジブリ映画の知識か?
20~30年前の知識で語ってるのかよ……
テクニカルなことができる俳優=ある時代までの声の仕事の従事者
声優を自称するなら俳優以上にそこに長けていないといけないはずなのに
常にマイクを相手にして育って来ているからか発声のコントロールが上手く無いよね
当然セリフも上手く無い だから使われない
仲代達矢氏インタビュー 「演ずることは生きること」
昔から芝居は「一声、二振り、三姿」といわれます。
観客はよく歌舞伎役者の動きの美しさをたたえますが、新劇はせりふに頼るところがより大きい。
今はちょっと「姿」が先行して、せりふや動きが次になって、マイクを付けて舞台もやっちゃうような時代です。
本当は「一声、二振り、三姿」ですね。しゃべりが崩れてしまうと、新劇というものは何だということになるので、
少なくとも僕の周りの若者たちには、それを一生懸命教えています。
(出典 rubese.net)
声優と俳優を分ける考え方が支持されるほどの
声優が出て来ていないんだよ
今は狂人キャラを演じる声優(怪演声優)が絶賛される傾向にある
狂人キャラは若手には任せにくいジャンルだから
その手の役が増えると中堅の仲間入りな感じ
邪道だー!
アホか
アニメの場合は絵が喋っているように感じられる状態が言わば自然なのであって
特徴のある声質も朗誦も手段であって目的ではないはずなのだが
それが一つの方法論として成立した事でアニメ全体が引き摺られた面はある
アニメ声と聞いて各人の定義はバラバラでも一定のイメージを思い浮かべられるのが何よりの証
勿論そういうアニメ的な演出を許容しないものもあるが
それだけの拘りを見せるものの方が少数派となれば
声優は一定の型を身に着けるだけでもやりくりが可能になって来る
声優にはこなせないものには声優に頼まなくなるだけ
「俳優の総合力が低下」してて声優のそれが低下してないのなら
後者の評価が上がるのは当然の理屈だが、それを奇妙な現象と呼ぶ奴は
自分の言ってる事すら理解出来てない奇妙な脳味噌してるドアホだなw
ゲームもやるし吹き替えもするしナレーターもする
アニメはその仕事のひとつ
>>55
アニメを最初に作った奴は
自分がアニメを作っているという自覚が
果たしてあっただろうか
まあそんな本質論を問わなくても
これが初めてのアニメの仕事なんてケースだけ取り上げても
君の主張が蒙昧である事が分かる
職務経歴の有無が問われているのではなく
業務遂行上の素養が問われているから引き合いに出される
アニメしかバックボーンが無い バックグラウンドが無い
こんな奴ではアニメですら良い芝居をする事は見込めんでしょう
アニメ声優の顔触れを見ても吹き替えでも定評があり
更に舞台にも立てるような人間の方がずっと格上な現実がある訳で
>>59
ナントカ曖昧にしてお茶を濁そうとするなよw
声優がアニメの専門家と言った所で一体何の専門家なのか
この本質を論じているのだよ 専門家たるだけの裏付けがどこにあるのか
アニメにおいて専ら役者が起用されて来たのは
演技の技術家としての才能が買われたものと言える
ならば役者は演じるとは何かという本質に通じていなければいけない
では声優にもそれだけの素養があるのかね
少なくともアニメの "有職故実" に通じていると言えるほど多才とは思えんがな
アニメ声優の第一人者の名前を教えてくれたらその不備を証明してやろう
>>62
本質もクソもない、アニメを作ろうという時に実写監督に監督やらせてもアニメは簡単には作れないのが本質
結局誰かが補佐という名の実作業を担うだけの話
実写やってる連中を集めた作品でも、その周りを固めたり音響演出を指示するのが
普段アニメやってる連中だったりするのと一緒
寧ろ、お前みたいに専門家を軽んじる奴はアニメ自体を軽んじてると言っても過言ではない
>>62
なにをワケのわからん事を…
声優がアニメの専門家?
アニメや外国の映像作品に違和感無く短い時間で演技をする能力のある役者なだけだろうが。ナレーションやMCまでやる人もいる。
アニメの事を詳しく知る必要はない。
その作品に合った演技を演れるかどうか。
本職を使え!と言われちゃうのはその役者が合った芝居をやれてないからだろ。
喜安は脚本の方が本業になった気も
小物役声優も必要よ
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